丸谷秀人のブログ

エロゲシナリオライター丸谷秀人の棲息地。お仕事募集中

美術館へいこう! 今は大きな声でいえないけどね

 忘れられない思い出がある。

 

 あれは確か小学生の時だったか、校外学習の時間に美術館へ行った。

 絵は全部見た。書いてある説明も読んだ。昔から文章を読むのだけは速いのだ。
 きれいだなと思う絵もあったし、なんだこれと思う絵もあった。
 それだけだった。
 たちまちのうちに全部の絵の前を通過した。

 そこに並んでいたものは、ボクの心になにひとつ痕を残さなかった。
 どこの美術館だったか、どんな絵があったかなにひとつ覚えていない。

 

 だけど、たったひとつ覚えている光景がある。

 

 がらんとした空間、白い壁にかけられた1枚の絵。
 その前に立ちつくす友人。

 美術館の出口まで戻って来た時、友人がひとりいなかった。
 なにをしてるんだろう? 長いトイレかな?
 ボク含めて彼と親しかった3人ばかりが探しに戻った。
 すると、彼が絵の前に立ちつくしていたのだ。

 しかも入ってからすぐのところの絵に。
 おそらく30分はそこに立っていたのだろう。

 

 なにしてるの?
 見てる。と彼は簡潔に答えた。
 この絵を? ずっと?
 彼はうなずいた。

 

 わけがわからなかった。
 その絵は別に有名な画家が描いた絵ではなかった。
 ボクにはどうでもいいつまらない絵にしか見えなかった。
 もっと先に行けば有名な画家の絵がいくらでもあるのに。

 へんなやつ。

 

 帰ろう。
 もうちょっとだから。
 みんな待ってる。
 彼はなごり惜しげにふりかえりながら、ボクらと一緒に出口へ向かった。
 その足取りは妙にのろく、ボクらはいらいらした。

 

 これで思い出はおしまい。

 

 それ以降も、私は何度も美術館へ行った。展覧会へも行った。
 何枚も何枚も絵を見た。
 芸術家を特集した番組とかも好きだった。
 こう書くとまるで、美を愛好している人間みたいだ。

 でもそれは、その芸術家の物語がおもしろかっただけだ。

 

 売れっ子になって、人気絶頂、美人の若い奥さんもらったのに、どんどん落ちぶれて貧乏のなか亡くなったレンブラント
 耳をふっとばし精神病院に入って結局は自殺してしまった、生活不適応者のゴッホ
 決闘決闘で人まで殺して逃げ回り、法王の恩赦をもとめてローマに帰る途中で急死したカラバッチオ。
 明らかに天寿を全うしたのに、あと10年あれば本当の画家になれる……と無念のうちになくなった葛飾北斎
 官僚としても有能で、それゆえ多忙で命を削られて亡くなったベラスケス。
 風刺的な銅版画集を出して、異端審問にあいそうになって祖国を出たのに、年金を貰えるよう粘り強く交渉していたゴヤ

 

 みんな一癖も二癖もあって人間としてノンフィクションとして面白い。

 そういう画家が描いた絵はきっとすごいんだろう。あー確かにうまいなぁ。

 それだけだった。
 展覧会に行っても、ふーん、へー、ほー、と説明文を全部読んで、一通り見て、感心して、おしまい。
 そりゃ、すごいな、きれいだな、と思うものもあったけど、それだけ。
 1枚の絵の前で立ちつくすとか、そういうのはなかった。混んでいて列が進まない時以外は。どんな展覧会でも30分かからず外へ出ていた。

 

 そんなある日。新聞に1枚の絵が載っていた。

 その瞬間、この絵を見に行かなければ、と思ってしまったのだ。
 それは今まで味わったことのない不思議な衝動で、とにかく見に行かなくちゃと思ったのだ。

 

 行く前に描いた画家がどんな人で、どんな人生で、この絵が描かれた背景は……と色々と調べた。
 どうも跡継ぎと見込んでいた才能豊かな息子が急死した直後に描かれた絵らしい。
 しかも下書きだという説まであるという。へー。おもしろいじゃない。

 

 というわけで、当日。私は電車を幾つも乗り継いで展覧会の会場である美術館へ向かった。

 矢印の指示に従って順路を回った。
 いつもの展覧会となにひとつ変わらない。説明を読んで、絵を見て、ふーんと思う。それだけ。目の前を絵や美術品が次々と流れて去ってゆく。

 普通の美術館に比べて入場料は安かったけど、2倍出せば映画が見られるんだよなぁ。やっぱ展覧会の類はコスパ悪い(当時そういう言い方は普及していなかったが)。

 

 通路を足早に曲がって、ふと顔をあげて。

 

 衝撃。

 

 そこにすごいものがあったのだ。

 私は、呆然と立ちつくしていた。

 それは確かに、私が前日まで色々と調べていた絵で、描かれた時代背景も画家のことも知っていた。

 それは単なる絵で、紙に濃淡がついた塗料を塗りつけたものにすぎない。
 すぎないはず。

 でも、私はそこに、松林を揺らす風のそよぎや、たちこめる霧がうごめくのを確かに見た。こずえが静かに鳴っているのを聞いた。霧の冷たさを感じた。
 それは静止した絵なのに、生々しく動いていた。

 自分が絵の一部になったようだった。

 

 そのあとは夢のような時間。
 近づいて細部を見たり、遠ざかって全体を見たり、下からのぞき込んだり、斜めから見たり。
 いくらそこにいてもただ心地よく、心がざわざわする。

 今ここにテロリストが現れて、この絵を破壊しようとしたら、ボクはこの絵を守ろうとするだろう。
 そんな気さえした。
 もちろん現実にそんな事態になったら、そんなことが出来るかは判らない。
 だが、こんなチキンな私にそう思わせるだけの力が、これにはあるのだ。

 そして後悔していた。
 この絵について、この絵の作者について事前に調べる必要なんてなかった。
 今や、この絵が画家が息子の死を悼んでとかのエピソードはノイズだった。
 かなうことなら何も知らない状態でこの絵を見たかった。

 

 その時、不意に思い出した。あの友人を。
 絵の前でただ立ちつくしていた彼を。

 

 ボクはまちがっていた。
 名前も思い出せない彼が正しかった。
 あの時、彼だけが絵を見ていた。ボクらは、ボクは絵を見ていなかった。

 

 それ以来、私はメディアで心にグッと来る絵を見ると、なるべくその絵が飾られた展覧会には行くようにしているのです。