丸谷秀人のブログ

エロゲシナリオライター丸谷秀人の棲息地。お仕事募集中

参加作品

※この記事は一番上になるようになってるはず……。

 

 お仕事募集中。プロット段階からお引き受け出来ます。

 

 知り合いにこのブログを見せたら

「自分がシナリオ書いた作品の一覧くらい書いておけば?」と言われた。

 もっともである。

 今まで書いてきた貧弱な記事を見ている限り、猫の額ほどの庭をたまにいじる暇人としか見えないだろう。

 というわけで、今までシナリオライターとして関わせてもらった作品名を発売もしくは提供した最近作から順番に列挙してみる(リメーク作品は数えず)。

 

2022  「魔法少女消耗戦線 another record -ちいさきものたちのゆめ-」 

2021  「コイ×ミツ~八重練紗祈と赤い糸の王子様~

      「魔法少女消耗戦線DeadΩAegis

2019  「ガールズブックメーカー」 

2017  「あぶのーまるらばーず」

2016  「ハナヒメ アブソリュート

2013  「ひめごとユニオン」

2012  「太陽のプロミア Flowering Days」

2011  「太陽のプロミア

      「神聖にして侵すべからず

2009  「仏蘭西少女」

      「しろくまベルスターズ」

2008  「ティンクルくるせいだーす

2006  「遥かに仰ぎ、麗しの

2005  「ゆのはな

2003  「SEX FRIEND」

2001  「奥さまは巫女」(ぷりずむぼっくす収録)

1999  「SEEK2」

      「ドライブ ミー クレイジー

1998  「MAID in HEAVEN」

1997  「女郎蜘蛛」

1996  「SEX2」

      「PILCASEX」(オムニバスのうち2本『犬』『輪恥』)

      「核融合少女リップルちゃん」

 

      「スーパーエレクト大戦SEX」

以上。

 

 

 

修行である。

最近、すみっこでこそこそと小説を書いている。

いわゆる、なろう、である。

あの『小説家になろう』で書いているのである。

 

ペンネームである。

 

んで、全くうけない。

日間ベスト10に四回くらい入ったが、それだけである。

『所詮、虚名がなければこんなものだよな』と、我が身を振り返る日々である。

 

手を抜いているわけではない。

日々、なにがうけるのだろうか、と投稿作品を読みながら、受けるツボを探して書いているのである。

 

修行である。心を無にして読むのである。

書けない日も多い。それもまた修行である。

 

いろいろ読んでいて思うのは

『きっとみんなストレスフルな生活をしているのだろうな』

これである。

 

信賞必罰にこだわる人が多いのは、そうでない現実があるからだろうし。

主人公が万能感に満ちているのは、日々自分の無力さを感じているからだろうし。

主人公に『隠れた能力』だの『有力な後援者』だのが出てくるのも、同じなのだろう。

 

生きにくい世の中である。

 

修行の道はきびしい。

だが夏が終わると、少し楽になるのがうれしいのである。

 

 

 

魔法少女消耗戦線 another record -ちいさきものたちのゆめ-

というわけで、発売から3ヶ月経ちましたが、新作が出ました。

魔法少女消耗戦線 another record -ちいさきものたちのゆめ-

魔法少女消耗戦線 DeadΩAegis』のファンディスクです。

 

考えてみれば、ファンディスクをほぼ全てひとりで書いたのは初めてです。

 

ファンディスクなので『魔法少女消耗戦線 DeadΩAegis』をプレイしていないと

なんのことやらわからない話ばかりです。

 

というわけで、ファンディスクが出たのを機に『魔法少女消耗戦線 DeadΩAegis』を買うというプレイスタイルもありですよ。本編とファンディスクがセットになったヴァージョンもあるのでお得です。

 

買って下さるとありがたいです。

 

『魔法少女消耗戦線』

 というわけで新作の話です。

 

魔法少女消耗戦線』という題名からも判るとおり、魔法少女が文字通り消耗させられるヒドイ目にあう話です。PILとBLACKCYCの悪魔合体なので、当然そういう話なのです。

 

 全プロット、全シナリオを書いたのは十数年ぶりなので気合いもモリモリ入り、気合いが入りすぎて途中、「こ、これは書き上がらないのでは……」という恐怖に何度も襲われ、ディレクターの上田メタヲ氏から放たれる圧に「くっ。なんというプレッシャーだ!」と怯える夜を何度も過ごしましたが、メタヲ氏をはじめとする各方面が尽力してくれたおかげでなんとか書き上げることができました。ありがとう本当にありがとう!

 

 あ。私が気合いが入りすぎ、とか言うと「丸谷の鬼分岐かっ!?」と敬遠なさる方もいるかもしれませんが、大丈夫。ルートは『仏蘭西少女』の3分の1どころか『SEXFRIEND』の半分にすら及んでいません。安心して購入してください。大丈夫、こわくないから。そこに座ってクリックして声優さんがたのかわいかったりエロかったり悲鳴だったりを聞いているうちに終わるから。

 

 『PILとBLACKECYCの悪魔合体なんて! よい子のボクには耐えられない!』という方もおられるでしょうが、少なくとも意味も無く残酷な話というわけではありません。PILであろうとCODEPINKだろうとPULLTOPであろうとぱじゃまそふとであろうと、私とある程度深く仕事をしたかたならみんな『いかにも丸谷らしい話っですね』と言ってもらえるお話であると自負はしております。これホント。

 

 猫田さんだったらニヤニヤと笑いながら『いかにもまるちゃんらしい話だねー』と言ってくれるでしょうし、三ツ矢新なら『いかにも丸谷さんらしい話ですね』とちょっと苦笑しながら言ってくれるにちがいないし、キリヤマ太一なら『未亡人いないの?』と残念そうに言ってくれるにちがいないのです。まぁいつもの私です。

 

 しかも絵が、カワイイ女の子達や、グロえろくかわいいエイリアンの絵があの上田メタヲ画伯ですよ! 今、予約すると、なんと立ち絵や原画がたっぷりと収録されている上に、制作裏話がのったラフ原画集だの、外伝小説だのタペストリーだの、テレカだのが販売店によってよりどりみどりなんで! その辺、好みに従って選んでくださいませ。

 

 そんなわけでちょっとでも興味があったら体験版をプレイしてPLEASEです。お願いします。

 

 

 

ブログを書くのはえんやこら

 12年ぶりに全プロット・全シナリオを書いたエロゲの新作が3月末に出るので、少しは宣伝の足しになるかと思いブログを書こうと思い立ったのだが、久しぶりすぎて編集画面に入る方法を忘れていた。

 

 そんなにも長く放置していたのかと、一瞬だけ驚いたが、考えてみれば当然のことであったのだ。

 

 なぜなら、ブログを書くのは、私にとって拷問にも等しい重労働だからだ。仕事で書くテキストと異なる様々なハードルが立ち塞がるのだ。

 

 まずネタが浮かばない。

 まちがっても炎上してはいけない、政治的なことや宗教的なことには触れずに済ませなければならない、なにかの立場を表明してはいけない、仕事上の機密に触れるなどもってのほかだし、誰かを笑いものにするのもいけない、笑いものにしていいのは自分だけだが、それも過度にやれば、不快感をもつ方々もいるかもしれない。かと言って、過去の参加作品について書くのももってのほかである。なぜなら、エロゲーは私1人で書いているわけではなく、それを「へっへっへ。自分の作品でございますればどんどん語りますぜ!」みたいに勝手に自分語りするわけにもいかない。

 

 あたりさわりがなく、読み終わった瞬間に忘れるような内容だが、読んで頂いている最中は面白いと思っていただけるものがいい。

 

 こんなん書けるか! と我ながら思う。

 

 考えすぎではないかとも思う。腐ったエロゲーシナリオライターのブログなど読む人間がいかほどいるというのか、一桁か、ひょっとしたらゼロではないだろうか、そもそも存在が知られているのか、一応仕事の募集をしている場所なのだから、たまには炎上でもして宣伝した方がいいのではないか……とすら思うことがある。

 だが、私は非常にチキンなので『わっはっは燃えろ燃えろ! 炎上上等! 心頭滅却すれば火もまた涼し!』と豪快に笑って見ていられる神経の人がうらやましくてたまらない、よって炎上なんかしたら、即日ブログを畳んでしまうのは目に見えている。

 

 そんなわけでブログのネタを考えるのは重労働である。

 

 さて、上記の非常にハードルが高い自己規制を突破したとしても、次に時期の問題がある。ブログを書くのがまずい時期というのがあるのだ。ずばり、仕事にとりかかっている期間である。

 考えてもみてほしい、仕事にとりかかっている最中にブログの更新、しかも内容があたりさわりがなくからっぽで頭の悪いものだったら、仕事先の相手になんと思われるかと。仕事そっちのけでこんなものを書きやがって……と思われるに違いない。そのうえ、内容が空疎で頭が悪いと来たら、こいつにシナリオ作業を発注したのは間違いだった、今からでも別のもっと頼りがいのあるシナリオライターに変えよう。という展開になる。仕事をなくすということは、お金が入らないということで最悪である。

 

 というわけで、さまざまな自己規制の山脈を突破したネタも、時期が悪いとネタ帳に沈めるのだが、こういうものは簡単に風化してしまうので、だいたいは沈んだままになってしまうのだ。

 

 そして、これらの関門をくぐりぬけ、ようやく書き上げたブログも、あとで読み返すと、あまりにもあたりさわりがなく、つまらなく、どうでもいいので、自己嫌悪の大波が襲いかかってくる。そうなると次は、更に自己規制が高くなってしまうのだ。

 

 こんなどうでもいい空回りの気配りとせんでもいい気苦労をしてしまうので、気楽には書けず、思いついてもすぐぐったりしてしまい、結局は書かないことになってしまうのだ。

 

 ああ、疲れた。

 

 

 

 

美術館へいこう! 今は大きな声でいえないけどね

 忘れられない思い出がある。

 

 あれは確か小学生の時だったか、校外学習の時間に美術館へ行った。

 絵は全部見た。書いてある説明も読んだ。昔から文章を読むのだけは速いのだ。
 きれいだなと思う絵もあったし、なんだこれと思う絵もあった。
 それだけだった。
 たちまちのうちに全部の絵の前を通過した。

 そこに並んでいたものは、ボクの心になにひとつ痕を残さなかった。
 どこの美術館だったか、どんな絵があったかなにひとつ覚えていない。

 

 だけど、たったひとつ覚えている光景がある。

 

 がらんとした空間、白い壁にかけられた1枚の絵。
 その前に立ちつくす友人。

 美術館の出口まで戻って来た時、友人がひとりいなかった。
 なにをしてるんだろう? 長いトイレかな?
 ボク含めて彼と親しかった3人ばかりが探しに戻った。
 すると、彼が絵の前に立ちつくしていたのだ。

 しかも入ってからすぐのところの絵に。
 おそらく30分はそこに立っていたのだろう。

 

 なにしてるの?
 見てる。と彼は簡潔に答えた。
 この絵を? ずっと?
 彼はうなずいた。

 

 わけがわからなかった。
 その絵は別に有名な画家が描いた絵ではなかった。
 ボクにはどうでもいいつまらない絵にしか見えなかった。
 もっと先に行けば有名な画家の絵がいくらでもあるのに。

 へんなやつ。

 

 帰ろう。
 もうちょっとだから。
 みんな待ってる。
 彼はなごり惜しげにふりかえりながら、ボクらと一緒に出口へ向かった。
 その足取りは妙にのろく、ボクらはいらいらした。

 

 これで思い出はおしまい。

 

 それ以降も、私は何度も美術館へ行った。展覧会へも行った。
 何枚も何枚も絵を見た。
 芸術家を特集した番組とかも好きだった。
 こう書くとまるで、美を愛好している人間みたいだ。

 でもそれは、その芸術家の物語がおもしろかっただけだ。

 

 売れっ子になって、人気絶頂、美人の若い奥さんもらったのに、どんどん落ちぶれて貧乏のなか亡くなったレンブラント
 耳をふっとばし精神病院に入って結局は自殺してしまった、生活不適応者のゴッホ
 決闘決闘で人まで殺して逃げ回り、法王の恩赦をもとめてローマに帰る途中で急死したカラバッチオ。
 明らかに天寿を全うしたのに、あと10年あれば本当の画家になれる……と無念のうちになくなった葛飾北斎
 官僚としても有能で、それゆえ多忙で命を削られて亡くなったベラスケス。
 風刺的な銅版画集を出して、異端審問にあいそうになって祖国を出たのに、年金を貰えるよう粘り強く交渉していたゴヤ

 

 みんな一癖も二癖もあって人間としてノンフィクションとして面白い。

 そういう画家が描いた絵はきっとすごいんだろう。あー確かにうまいなぁ。

 それだけだった。
 展覧会に行っても、ふーん、へー、ほー、と説明文を全部読んで、一通り見て、感心して、おしまい。
 そりゃ、すごいな、きれいだな、と思うものもあったけど、それだけ。
 1枚の絵の前で立ちつくすとか、そういうのはなかった。混んでいて列が進まない時以外は。どんな展覧会でも30分かからず外へ出ていた。

 

 そんなある日。新聞に1枚の絵が載っていた。

 その瞬間、この絵を見に行かなければ、と思ってしまったのだ。
 それは今まで味わったことのない不思議な衝動で、とにかく見に行かなくちゃと思ったのだ。

 

 行く前に描いた画家がどんな人で、どんな人生で、この絵が描かれた背景は……と色々と調べた。
 どうも跡継ぎと見込んでいた才能豊かな息子が急死した直後に描かれた絵らしい。
 しかも下書きだという説まであるという。へー。おもしろいじゃない。

 

 というわけで、当日。私は電車を幾つも乗り継いで展覧会の会場である美術館へ向かった。

 矢印の指示に従って順路を回った。
 いつもの展覧会となにひとつ変わらない。説明を読んで、絵を見て、ふーんと思う。それだけ。目の前を絵や美術品が次々と流れて去ってゆく。

 普通の美術館に比べて入場料は安かったけど、2倍出せば映画が見られるんだよなぁ。やっぱ展覧会の類はコスパ悪い(当時そういう言い方は普及していなかったが)。

 

 通路を足早に曲がって、ふと顔をあげて。

 

 衝撃。

 

 そこにすごいものがあったのだ。

 私は、呆然と立ちつくしていた。

 それは確かに、私が前日まで色々と調べていた絵で、描かれた時代背景も画家のことも知っていた。

 それは単なる絵で、紙に濃淡がついた塗料を塗りつけたものにすぎない。
 すぎないはず。

 でも、私はそこに、松林を揺らす風のそよぎや、たちこめる霧がうごめくのを確かに見た。こずえが静かに鳴っているのを聞いた。霧の冷たさを感じた。
 それは静止した絵なのに、生々しく動いていた。

 自分が絵の一部になったようだった。

 

 そのあとは夢のような時間。
 近づいて細部を見たり、遠ざかって全体を見たり、下からのぞき込んだり、斜めから見たり。
 いくらそこにいてもただ心地よく、心がざわざわする。

 今ここにテロリストが現れて、この絵を破壊しようとしたら、ボクはこの絵を守ろうとするだろう。
 そんな気さえした。
 もちろん現実にそんな事態になったら、そんなことが出来るかは判らない。
 だが、こんなチキンな私にそう思わせるだけの力が、これにはあるのだ。

 そして後悔していた。
 この絵について、この絵の作者について事前に調べる必要なんてなかった。
 今や、この絵が画家が息子の死を悼んでとかのエピソードはノイズだった。
 かなうことなら何も知らない状態でこの絵を見たかった。

 

 その時、不意に思い出した。あの友人を。
 絵の前でただ立ちつくしていた彼を。

 

 ボクはまちがっていた。
 名前も思い出せない彼が正しかった。
 あの時、彼だけが絵を見ていた。ボクらは、ボクは絵を見ていなかった。

 

 それ以来、私はメディアで心にグッと来る絵を見ると、なるべくその絵が飾られた展覧会には行くようにしているのです。

 

もういない

 

 キリヤマ太一はもういない。

 もう2度と会えないし、あのエロ素晴らしい絵が増えることもない。

 コミケ会場へ行っても、新刊が出ていることもない。

 一緒にエロゲーを作ることもない。 

 

 なんてこった。

 

 彼は私よりも若かったのに。

 彼が私より若いことを知った時『今まで自分は何をしていたんだろう……無だ!』と絶望的な気分になったというのに。その彼の方がこの世から消えて、私はまだここにいる。不条理である。

 

 三ツ矢新がこの世からいなくなったと報された時も信じられなかった。なにを言われてるのか判らなかった。彼もまた私よりも若かったから。それなのに、キリヤマ太一までとは! みんな早すぎるよ。

 

 最初に組んだのは『輪恥』という小規模なゲームだった。なにを描いてもらってもうまかった。特におっさんがうまかった! それなのに私より若いんだよ! 絵を見る度に、なにやってんだよ私はって思った。あの頃、彼はグラフィッカーだけやってたかったらしいけど、あんないい絵を描けるヒトが原画から逃げられるわけがない。

 

 とか思ってたら、なんと、キリヤマ太一から企画書が飛びだした。

 不思議だった。あんなに原画家やりたくないって言ってたのに、自分から言い出しっぺになるなんて。

 

 すごい企画書だった。

 

 『メイドさんとエロエロするゲーム』とだけ書いてあった瞬間。こいつはスゲー奴だと思った。

 楽しい仕事だった。毎日毎日出社しているあいだギャグだけを考えていた。エロゲーなのに。アイデアを思いつくと会社中を歩き回り、思いついたネタをしゃべってまわった。我ながら迷惑な人間だった。

 そのあいだもキリヤマ太一は黙々と原画を描いていた。すげーヤツだった。

 

 完成した時。もう二度と原画はやらない。みたいなことを彼はのたまわった。

 

 なのにまた彼から企画書が飛びだして来た。

 

 企画書の最初に『SEXFRIEND』と書いてあったのを見た瞬間も忘れられない。こいつは売れるぜ! と思った。なぜそう思ったのかは判らない。でも本当のこと。

 このゲーム絶対に書く! 書きたい! 書かせて下さい! と思ったし本人にも言ったのだけど、色々あって別の人が書くことになって。あーあ、とガッカリしてたら、また色々あって私が書くことになった瞬間の喜び。

 

 あの素晴らしい衝撃と喜びを二度三度。この先にも味わいたかった。

 

 昨今のエロゲー界の様子からして、私と彼が組んでエロゲーを作ることは二度と……いや当分はなさそうだったけど(いつでも可能性だけはあったからね!)……それでもお互い生きていれば、瓢箪から駒でひょっとしてひょっとするとあったかもしれないのに。突然、彼のところから衝撃的な企画書が飛びだすことだってあったかもしれないのに。

 

 全ての可能性はなくなってしまった。

 この世界からいなくなってしまってはどうしようもない。

 

 いなくなってしまった人達の顔を思い浮かべる。

 浮かぶ顔は、みんな元気そうで若い。可能性できらきらしていた。

 あの人達とならなんでも出来そうな気がした瞬間が確かにあった。

 何か新しい素晴らしいものが出来そうな。

 まぼろしだったかもしれないけれど、あったのだ。

 

 だけど彼らはもういない。

 

 荒縄猫太もいない。

 三ツ矢新もいない。

 キリヤマ太一もいない。

 T所さんもいない。

 

 知り合いではないけれど、吾妻ひでおもいない。

 

 みんな早すぎるよ。