まだまだ人生には未知なことがあふれている
耳が聞こえないと不便だ。
うん十年生きて来てそんな当たり前のことにようやく気付かされた。
まず自転車に乗れない。
車道を右側通行していれば、車が走っているのは右側。
当然、音はよく聞こえない。そりゃ右耳が聞こえないんだから当たり前だ。
自転車に乗れないと、ホームセンターに行けない。
右がいつも塞がっているので、常に変な耳鳴りめいた音が聞こえる。
右から話しかけられるとよく聞こえない。
音楽がステレオで聞こえない。
などなど。
左を塞ぐと沈黙の世界を体験出来ていいとか言ってる場合じゃない。
自然の作用によってポロッと出てくれるのを待っていたのだが、そうそう都合良くはいかないらしい。
インターネットで調べると、耳鼻科でとってもらうと、それまでの悩みが嘘のように、よく聞こえるようになるらしい。なるほど。
というわけで、私は耳掃除機を買った(3000円くらいナリ)。
なんか耳が耳垢でつまった程度で耳鼻科に行くなんていやだー。なんて理由で。
吸引式のちょっとかわいい奴だ。
数日で届き、さっそく使ってみたところ……耳垢がちょっとは取れた、というか吸引してくれたが、音は聞こえてこない。
吸引力が弱いのか、と思い、うちにある掃除機のノズルの先端を耳の穴に押しつけてみたが、幸か不幸か私の耳の穴はそこまで巨大じゃなかった。人類なのであたりまえである。
そんな状況で映画を見に行くわたしはバカである。
片耳が聞こえる聞こえない以前につまんない映画だったのは、耳が聞こえたらもっと素晴らしかったのに、と悔しがらずに済ませてくれた神様の計らいだったか。
わかったよ神様! 素直に耳鼻科に行くよ!
というわけで、映画帰りにさっそく地元の耳鼻科に行ったのだが、なんと1時間待ちだという。そんなに待っている根性はないので、予約はできないかと訊けば、インターネットでやっているという。
すごいよネット。こんな地元の医者までサイバーになっているとは。
というわけでネットで予約したら、10秒とかからず予約終了。
いよいよ産まれて始めて耳鼻科にいくことになったのだった。
わくわくどきどきである。
透明な水の底で
ことの起こりはクワイの栽培。
今年で四年目になるが、どうやっても避けようのないものがある。
発泡スチロールの大きな箱に土を入れクワイを植え水をいれると、必然的に発生するのは、藻と虫だ。
最初はキレイだった水は一週間と経たぬうちにうっすらと緑色になり、水底も一面藻で緑色になる。こうしてたっぷりと食糧ができると、ボウフラが湧いて来る。この頃になると腐ったような生臭いようないやなにおいが漂い出す。
こうして戦いが始まるのだ。
クワイは最終的に食べるので強力な薬は使えない。そうなると対抗手段は限られる。
①ボウフラをコップや網ですくいとる。
②リング状にした銅線を水中に沈め、銅線から水に溶け出す銅イオンの力を使う。
③水をこまめにとりかえる。
④水に消石灰をぶちこむ。水をアルカリ性にして水中環境を住みにくくする。
⑤タイの少年の知恵を使う。
⑥メダカを放ちボウフラを食べさせる。
⑦ポンプ等を設置し、水を循環させる。
⑧水の底に小石をしきつめる。
こうみると多種多様の先方がありよりどりみどりっぽいが、
どの方法も大した効果はないか、効果はあるかもだが金がかかる。
①は確かに無害だが、手間が非常にかかるし、クワイが大きくなるにつれて水面は見にくくなり、急速に効率は低下していく。
②も確かに無害だが、ボウフラの発生はおさえられず成虫になるのを阻害する力しかないらしい。蚊の発生はおさえられるが、いやなニオイの発生はおさえられない。それに、着実に効果を発生させるにはかなり多くの銅が必要らしい。毎年投入量を増やしてはいるのだが、効果が発生していると断言出来るほどの戦果があがった形跡がない。
③だと水ごと藻と蚊は消えるが、毎日水を大量に捨てるのって水道代の観点から気が引ける。それにクワイが大きくなればなるほど、箱は重くなり水を捨てるのも大変である。しかも無理に動かして箱が壊れでもしたら大災難。
④は確かに無害だ。しかも消石灰はセンベイや駄菓子などの袋に同梱されているため集めるのもタダである。だが効果を実感出来たためしがない。
⑤はペットボトルを使ったボウフラ捕獲機だ。なんでもタイの14だか15の少年が発明したそうである。ボウフラの性質を利用したものなのだが……我が家の狭い環境ではでかすぎて使えない。
⑥は水生植物を栽培する多くの方々が推奨する方法である……が、ごめん、生きものが苦手なんだ。飼ったら確実に死なせてしまう自信しかない。
⑦は高い。
⑧水草は生えにくくなる。よってボウフラの食糧も少なくなる。だが、夏になったころには小石にも藻が生えてきて……いつもと同じになる。
最初は③のみだったが、今や①~④+⑧の方法を組み合わせて戦っている。
そして今年も戦いが始まった!
クワイを植えて一週間も経つと、さっそくボウフラが姿を現した!
特に、3つある比較的大きな箱の1つにうじゃうじゃ湧いている。
銅線も入れておいたのに……去年の2倍増やしても効果がないらしい。そもそも、銅ではボウフラそのものは殺せないんだよな-。
そこで今年はまず④の消石灰投入を行ってみた。別段深い考えがあったわけではない。単に冬のあいだに大量にたまった乾燥剤が目に止まっただけである。とはいっても深い考えで動くことなど全くないバカなのだが。
最初は芽を出したばかりのクワイをさけて撒いた。水の底はシマウマのようになった。
次の日、予想通り、ボウフラは元気に泳ぎ回っていた。
心の中でなにかが切れた(のかもしれない)。
予想通りなのにどうしたことであろうか、3年間の苦い経験が蓄積させた遣り場のない怒りが爆発したのだろうか。人間ってこわい。
次から次へと乾燥剤の袋を切ると、片っ端から中身を水中へぶちまけた。
水底で顔をだしはじめたクワイの芽など気にせず、底が真っ白になるまでぶちまけた。植物は動物よりきっと強いだろうから大丈夫多分。もちろん根拠はない。でもほら、植物って動物より先に発生してるし、それだけ長く環境に適応してきたんだから、少々のやんちゃだって耐えてくれるだろう!
まっしろになると、なんか楽しくなってきた。
あはは、わはは、ほーらまっしろだ。はなさかじーさんみたいだ。
ほーれほーれ、まっしろまっしろ。
なにもかもまっしろになってしまえ。
5つの箱の水底を全部まっしろにして我に返る。
まずいんじゃね?
やりすぎじゃね?
しかもここまでやっても効果ないんじゃね?
というわけで、ベランダから逃げるように立ち去ったのだった。
次の日。
クワイを育てている箱の中はまっしろだった。
消石灰をまいたからだ。
水の底で葉が出始めたクワイまでがまっしろになっている。
底まで見えるのは、あれだけ大量にあった藻が消えているからだ。
そして、
なにか黒い大きな塊が水面に浮いている。
ボウフラの大きさではない。
ヤバイ予感がした。
見るのもいやだったが目を近づけて見ると、
なんとそれは大量のボウフラが一塊になって浮いているのだ。
真っ黒な絨緞のようだった。
あわてて小さなコップでそれを掬って捨てて、他にも浮いていないかと水面を覗き込むと、まっしろな水底が目に映る。
いちめんのしろの中に無数にちらばる小さな黒い線状のもの。
そのひとつひとつが死体なのだった。
呆然とした。
こんなにいやがったのか
へへへ。殺った。あれだけ手強い敵を殺し尽くした!
という喜びはまったくなかった。
なぜか、とてもこわかった。
あれから一週間。
未だに水は澄み、ボウフラは全く湧いていない。
かなりアルカリ性になった水の中でも、クワイは順調に育っている。
すばらしいことなんだが、透明な水底に無数の黒い潜が散らばっている光景にも変化はなく、それを見る度に、いやな気分になる。
アブラムシをいっぱい殺したあとでも、あんな気分にはならなかった。
死体がそこにあるからだろう。
そして水が澄んでいる限り、それを見ないで済ますことはできないのだった。
なにか聞こえますか? いえなにも聞こえないのが普通です。
朝起きたら耳が聞こえなくなっていた。
妙に音が遠い、うすい布の膜が幾枚も耳の奥にある感じ。
しかも右耳だけ。
おかしいな。左耳に指を突っ込んでふさいでみると、なにも聞こえなくなる。
右耳の奥に、なにかの塊が居座っている感じ。
なんか重い。
これは本格的に詰んだ。
実はここ一週間ばかり、どうも右耳の聞こえが悪く、特に風呂のあとなどは。
そのたびに、耳たぶをひっぱったり、くしゃみをしたり、右耳を下にして片脚で飛んでみたり、とその場しのぎの対策でなんとかなっていたのだ。すぽん、と空気が抜けた感触がして、やれやれと。
が、今回はどれをやってもいっこうに耳を空気が抜けた感じがしない。
彼女が耳掃除をしてくれると言う。うほ。
オレ、リア充。
などという存在はいないので、仕方なく自分で耳掃除をしてみんとす。
まず綿棒でこちょこちょ、先端がなにかに触れたが、もっと奥に押し込んでしまうというよくある展開。
そこで、最近発掘したちゃんとした耳かきでこしょこしょしてみたら、なにやら巨大なものの一部らしきものを掻き取っりましたが、肝心の本体は更に奥へ。
ふぅ……まぁ、やれるだけのことはやったよね。
というわけで自然に身を任せることにした。
昔、上野公園を歩いていたら、突然大きな塊が耳から転がり出てきたのを思い出す。
あれはいつのことだったか。どれくらいの大きさだったか。測っておけばよかった。
今回もあれの再現を期待。出て来たら測ろうと決心。
右耳がほぼ聞こえないとなると、自転車に乗るのは危険なので、ますます運動しないことが正当化されるのだった。よくない。よくないが仕方がない。
不便と言うほどの不便がないのが不幸中の幸い。
一応音は聞こえる。ただずぅーっと右耳の奥が重いのだけがわずらわしい。
忘れようと思えば思うほど、余計気になるのは理の当然。ああ、煩わしい。
わざわざ感じで「煩わしい」と書いてしまうほど煩わしい。
いっそ。左耳も塞いでしまおうか。
脱脂綿をまるめて左耳に突っ込むと、静寂。
どこかから遠い海の波の音が聞こえてくる。
よせては返す波打ち際では、船が難破していたりするのだろう。
半分海に浸かった死んだ町の尖塔は傾いて、
何も知らぬ海鳥がその上空を舞っている。
陳腐。
とおいとおいどこかで誰かがくしょみをした気がした。
情け深いワタシであることよ(うそつけ)。
今年もクワイを植える季節がやってきた。
沼や川なんて大自然はうちのベランダにはないので、発泡スチロールの箱に植える。箱の下半分に土を入れ、そこにクワイの種芋をいれたら、箱いっぱいに水を張ってやって準備完了。
あとは太陽が仕事をしてくれる(水は足さないとなんないけどね)。
クワイはいい。
まず、手間がそれほどかからない。下半身は水に浸かっているので、根を噛んだりする芋虫の類の害虫がない。掘るとどこからでも出てくるコガネムシの幼虫どもも、クワイには手が出せない。敵といえば、せいぜい葉にたかるアブラムシくらいだ。カイガラムシや青虫が出現することもあるけれど、我慢出来る程度にはたまのことだ。アブラムシがシューティングゲームの雑魚キャラと中ボスを合わせたくらいの出現率で、カイガラムシや青虫はボスキャラ程度だ。
枯れた葉や多すぎる葉を除去したり、水たまりに「いて当然でしょう」みたいな顔で発生するボウフラどもを退治してやったり、少しでもボウフラどもの発生を防ぐために、水の中に丸めた銅線を放り込んでおいたり、消石灰をまいたり、親蚊が近づかないように装置を設置し、もちろんアブラムシどもは見つけ次第つぶしてつぶしてつぶしてつぶす。夏ともなれば毎日毎日炎天下だろうがじとじと雨だろうが1日2回は見まわりして……。
あれ? 結構手間がかかってね?
いいんだよ愛だから! しかも最後には食べられるんだから!
食べられるものは正義! 薄くスライスして、油であげてやるとうまいんだぞ!
もちろん前回も全部おいしくいただきましたよ!
家で出来たクワイを種芋にして次の年育てても貧弱なのしか出来ないから、全部食べちゃうしかないんだけどね。
というわけで、そろそろ植えようかなぁとどうしようかなぁ、でフト思い出す。
2月くらい、収穫した後の残った土を処分してた時、掘り出しそこねてたクワイが3個くらい出てきたのを、適当な入れ物に放り込んでおいたなぁと。
プラスチックの入れ物には、物干しが半壊した時に出た木ぎれがちょこんと置いてある。当然入れ物の中は真っ暗、しかも水につけておけば保存出来るかも、なんていい加減なことを考えて、水を入れておいたような……。
でも、真っ暗な場所に、放って置いた球根というか地下茎。
普通、死亡フラグ。つまり腐ってドロドロだよなぁ。最近妙に暑いし。
フタを開けたとたん、いやーなにおいがムクムクと湧いてくるのまちがいなし……。
……。
どうせ家で出来た奴は、植えても収穫はのぞめないし……。
気付かなかったことにしてほうっておこうか。
というわけにもいかんので、使い捨て手袋をはめ、捨てるためのビニール袋(当然透けてない奴!)を用意し、異臭を嗅ぎたくないので鼻にちり紙をつめて、蓋をとると。
げぇぇぇ。
なんか白くて細くてひげみたいなもんで入れ物の中がいっぱいだよ!
根かよ!
しかも日にまったく当たってないのに、緑の葉まで生えてやがる!
(ひょろひょろで小さいけど)
なんてたくましい奴らだ!
(ひょろひょろだけど)
うちで栽培したものとは思えん。
(買って来たのなら同じでもしっかりしてたのかも)
これは、あれだ。
過酷な条件のところへ放りだしておいた結果、鍛えられてたくましくなったのか!
(ひょろひょろだけどなぁ。たくましいというより、往生際が悪いのか)
ふふ、これぞ深謀遠慮という奴だ。
なんてわけねーよ。
でも、生えてるもんを捨てるわけにもなぁ。
急遽100円ショップで買ってきたプラ製のゴミ箱に土と水を入れて植えてやりました。人情味あふれるワタシである。
(こんなにひょろひょろじゃ、そのうち枯れるでしょ。ついでに大きな箱に冷蔵庫で保存しておいた種クワイを植えて肥料もがっつり入れて、と、こっちが本命)
というわけで、一週間経った今でも、奴らは元気です。
あたらしい葉とかまで出てきてな。ついに自分たちの時代がやってきたって感じですよ。葉っぱなんかキラキラしてるよ。すごいね自然は!
(本命のほうは、今だ芽すらでず……が、がんばれー)
やっぱり無理矢理はダメでした
ある晴れた朝。
残っていた4つも落ちていた。
ま、まぁしょうがないよね!
はじめてだったし、慣れてなかったし、心の準備もできてなかったし。
落ちたとはいえ、一応タネツケまではうまくいったんだから、ボテ腹まではいったんだから、はじめてにしてはうまくいったよね!
それに、実がなったとしても、今年のはきっとおいしくなかったにちがいない!
はぁ……。
来年こそ、残る2本にも花が咲いて、自然交配にもちこめるだろうか。
きっとダメな気がする。
かなりダメな気がする。
ほぼダメな気がする。
最初からダメとおもっておけば失敗した時ダメージが少ないよね!
とか言ってたら、本当にダメっていうパターンだぞこれは。
やっぱり人間でも植物でも無理矢理はダメだよね!
うん。地球には、もっとやさしさが必要ですよ。
でも、来年も無理矢理タネつけするけどね!
だってポポー喰いたいから!
やっぱり無理矢理はダメなのか
ちっともはらんでくれません。やっぱり無理矢理がダメなのか。
10個くらい咲いたのを、片っ端から無理矢理たねつけしたんですが。
実る様子もなく、ぽろぽろと落ちていくポポーの花。
種付けに成功した場合は、花びらが落ちても花は落ちず、雌しべが膨らんで房状になるという話だったんですが。
はじめての上、無理矢理だからね。
はじめてが無理矢理、最悪。トラウマになる。
こんなことで孕まされて産みたくない! とお嬢ちゃんが叫んでいるのが聞こえる。
幻聴かよ。
昔、インドにいた偉いことになってる女の人が言ったという。
ムリヤリされて出来ちゃっても、産まなきゃだめだよね。
ひどい人だと思ったよ。自分のことじゃない上に、自分には全くそんな危険がないとなりゃいくらでも言えるよなー。
と思った自分には、ポポーのお嬢ちゃんに拒絶されても、仕方ないね、と言うしかないのだった。
とか思っていたことがありました。
なんと、最後の3つの花が、花びらが落ちても本体が落ちない!
ぬかよろこびか? 上げてから突き落とす意地悪か!? と、すっかり人を信用出来なくなっていましたが、一週間経っても落ちません。参考にしてるブログに載ってた受精したポポーの花という写真ともそっくり。
おー、孕んだ! めしべがこんなに膨らんでる! 孕み腹じゃぁ! ボテ腹じゃあ! しかも10個もじゃぁ! これで9月か10月には丸々と実った子どもが! 食える!
だが待てよ、まだ若い気に10個は多すぎる、半分くらいに間引いたほうが……。
と喜んで先走ったのもつかのま、ある晴れた日、3つのうち1つがしおれていた。
で翌日には落下していたのでした。うぬぬ。
ま、まだ6個くらいはあるから……。
と思っていたら、もう一つについてた3個のうち2個がぽっきりと折れていた。
残るは4個……ま、まぁもう少しというところで落ちる無念さよりマシだよね!
とほほ……。
墓地へ行って、墓を開けた 後編
カロートの入り口を塞いでいる平たい石は重かった。
なるほど、プロが金にするわけだ。
「重そうだなぁ」「重いよ!」「頑張れ!」
お。動く。
もちあげるのは無理だが、ひきずってずらすなら可能なようだ。
じりじりと石が動き、下の空洞が姿を現す。
「うわ。ホントに開いたよ! こいつ開けちゃったよ! ヘンタイだ!」「閉めるときはお前が閉めろよ」「えーっ」「えーじゃねぇ!」
日差しが差し込み、中がよくみえる。
コンクリートに四方を囲まれた、人がしゃがめば入れるくらいの空間。
その奥、墓石の下には上下二段の空間。並んでいる骨壺。
骨壺は白い陶器製で、ひとつずつ名前が書いてある。
「おお、あれ俺の祖父ちゃん! あっちは祖母ちゃん!」「感動の再会はその辺にして、親父さんをいれてやれよ」
さいわい、上の段の手前にもうひとつかふたつ骨壺が入る余地がありそうだ。
もしなかった場合は、骨壺の中身を出して、布製の袋に移しかえて容積を減らすとか、カロートの底に土が剥き出しになっている場合は、そこに埋めるとか、そういう作業をせよ、とネットには出てた。想像するだに気が進まない。
やらずに済んでよかった。
「ここまでやったんだから入れるのも――」「断る! お前の親父さんだろ!」「でも、こんなところに入ったら祟られるかも」「子孫のお前の方がそういう危険性は少ないだろ」「わがままだなぁ」「どっちがだよ」
奴はぶつぶつ言いながら、骨壺の入った箱をとりだし――
「お前それごと入れる気か」「だって箱が残ったら邪魔だし」「他の御先祖様は骨壺だけだろ!」「親父、特別扱いだって喜ぶかも」「よろこばねぇよ!」
奴は箱から骨壺を取り出すと、カロートの空間にしゃがみこみ、空いた場所に骨壺を置いた。と思ったら、その姿勢のままポケットからLEDライトを取り出すと、中を照らし始めた。
「なにやってんだよ」「金でも隠してないかと思って」「ないだろ普通」「いや、時間が経って腐っただけかもしれん」「好きなだけやってろ」「見張っててくれよ」「管理事務所に、埋葬許可をとってるんだろ? なら大丈夫だ」「ナニそれ」
「死亡確認の時にもらっただろ!」「……そうだっけ?」「じゃあなにしに事務所に行ったんだよ!」「まぁいいじゃん。そのなんとやらを持って明日いく予定だから」
行ってないのかよ……。
だんだん怒るのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
奴はしばらくのあいだ、中でごそごそしてたが、ようやく這いだしてきて、哀しげにため息をつく。
「はぁぁ……気が利かない御先祖様どもだ」「じゃあお前が入る時には、なんでも好きなものを入れて貰って、気が利く御先祖様と呼ばれろよ」「えーっ。そんなのいやだよ。俺が欲しいんだよ!」「みんなそうだから誰も入れないんじゃないのか?」「なるほど」
石を元に戻し、掘った土を元通りにし、ふたりしてお参り。
と言っても、大してよく知っているわけでもないので、報告することも言う事もない。とっくに骨になっている人に成仏してください、と言うのもなんかあれだし……いや、今日の息子の様子を見ていたら成仏しにくいかもしれんので、心配かも知れないですが成仏してください、と言っておくべきだろうか。
まぁいいか。それは親子の問題だから。
俺が顔をあげても、奴はまだ頭を下げて何か熱心に話しかけている。なんのかんの言っても親子だ。
「はぁ終わった終わった。帰ろうぜ」「その箱、置いていくなよ」「えーっ」「えーっじゃない」「俺重労働して疲れてるんだけど」「開ける方法を調べたのも、石を動かしたのもこっちなんだが」「いけず」
終わってみればあっけないものだ。
墓地の入り口から振り返ると、たくさんの墓に紛れて、どこにあるか判らなくなっている。
「ご苦労さん。駅まで送るから」「当たり前だ。交通費くらい払えよ。あと飯おごれ」「図々しいなぁ」「こっちのセリフだ。業者に頼んだら7万かかったところなんだぞ」「タダがステキなのに……」
車に乗り込むと、車内に音楽が流れ始める。
陽気な音楽。これ知ってる。「ブラジル」だ。
映画『未来世紀ブラジル』のメインテーマ。
「そういえば、さっき何を話してたんだ」「誰と?」「親父さんと」「彼女ができますようにって、出来ればメガネっこで、三つ編みで金髪で俺ひと筋で夜は娼婦で昼は淑女――」「ひどいな」「正直なんだよ」
そういうと奴は「ブラジル」に合わせて鼻歌を歌い出した。
あいかわらず音痴だった。