墓地へ行って、墓を開けた 中編
「よっ」「よっ」
と軽い挨拶、
「で、どうすんの?」「どうすんのって?」「墓開ける方法」「いきなりだなぁ」
「だって俺なんにも調べてないから!」
さわやかな笑顔で言うなよ。
「とりあえず、ホームセンター行くか」「おっす。まかせた。財布も」「財布はお前な」「えーっ」「お前の父親だろ」「そうだったっけ?」「そうだよっ」
奴の車ででかいホームセンターへ。
「墓開けるのとかさ、特別な道具とかいるんだろ?」「スコップかシャベル、それから軍手、あと懐中電灯」「そんだけ? 遠慮しなくていいんだぜ、どうせそっちもちだし」「お前の父親だろ!」「いや、家にあった単なる骨だし」「お前の父親だった骨だろ!」「そうだったっけ?」「そうだよっ」「あ、でもそれでいいんなら、うちに全部あるわ」「よかったなただで」「ホントだよ。俺、親父のために払う気まんまんだったのに」「うそつけ」
奴の家によって、ご位牌と骨壺入った箱に挨拶して、道具と骨壺積んで出発。
墓地は車で30分ほど。ドラマとかによく出てくる公営の妙に整然とした墓地じゃなくて、古くからあるちょっと遺跡っぽい墓地、妙にでかい木があっちこっちにぬっと立ち、カラスがかぁかぁと啼いている。夜来たくねぇな。
「なぁ。俺ってなんのかんの言っても、息子だからさ」「今頃気付いたか」「骨壺を運んでいくのは俺の役目だと思うんだよな」「まぁ……そうだな」「だから盗掘道具一式ヨロシク」「盗掘じゃねぇよ!」
だが理は通っている。
「ちょっと待った」「骨壺もちたいのか?」「ちげーよ。管理事務所に挨拶してこないとな」「あ、それなら大丈夫だから。れっつらごー」
珍しく気がきくな。
晴れた正午近くの空。陰気な作業をするんだから、せめて天気くらいは晴れやかであって欲しい。よかったよかった。
「なぁ」「なんだよ」「これってさ、焼いて肉もモツなくなって、しかも乾燥してんのに、結構重いのな」「骨壺が重いんだろ」「ちぇっ。こっちのほうが軽いと思ったのに」「お前、本当にその人の息子か?」「これ家にあったただの骨だから」「お前の父親だった骨だろ!」「そうだっけ?」「そうだよ!」
その人の墓は、大きな木の根元にあった。
「開きそう?」
脳内でネットで収集した情報と照らし会わせる。
「開かなかったら、納骨代8万円はそっちのおごりな」「お前の父親だろ! ただの骨じゃなくてお前の父親だった骨なんだろ!」「ぶー、セリフとるな」
墓石は4段。
一番下はレンガ一個分くらいの高さの基壇。この前に移動可能な石製の線香立てが置いてある。
その上の段の正面には花立てが左右に一つずつ、そして名称はわかんないがお祈りする時に使う水入れ用のくぼみ。
その次に小さい段があって。
一番てっぺんがよくある背が高い長方形の石。ここに○○家の墓と刻まれている。
で、墓石の前にはひらべったい大きな石。おそらくこの石を動かせば、カロートというのが現れるはずだ。
「とりあえずやってみよう」「まかせた」「お前も掘るんだ」
もってきたスコップをずずいっと突きつけると、
「俺、親父のこと持ってなくちゃいけないから」「都合のいいときだけ親父扱いするなよ。やれ」「ちぇ。で、どうすんの?」
俺は線香立てをどけると、平たい石の脇にシャベルを立て。
「この石をもちあげりゃいいはずだ。だからとりあえず脇を掘る」「アイアイサー」
数分で溝が掘れる。覗き込むと、平たい石は乗っかっているだけのようだ。業者によっては石を戻す時に、モルタルで固める場合もあるらしい。そうだったら余計な手間がかかるところだった。
平たい石の下は、石の大きさより一回り小さな壇になっている。触ってみると、手がかけられる場所はありそうだ。
「とりあえず動かしてみるか」「頑張って!」「いやだから……まぁいいや」
告白しよう。この石の重みがどんなもんか、感じてみたかったのだ。
だって、ネタになるし!
石の縁に指をかけて、えいやっともちあげた――
またも長くなったので、今回はここまで。
墓地へ行って、墓をあけた 前編
墓地へ行って、墓をあけた。
盗掘ですか?
いえ、頼まれ事です。
とはいうものの、貴重な経験だなと思ってホイホイ行ったのは本当だ。
それほどつきあいのない親戚のひと(葬儀にも行かないで済む程度の親戚といえば、どれほどつきあいがないか判るだろう)が亡くなって、つきあいもないので、はぁそうかぁ、もうそんな歳だったのか、というくらいの感慨しかなかった。第1、顔さえ思い出せない。
だが、この人の息子とは少しだけ縁があった。歳が近い親戚が私らしかいなかったというのが唯一にして最大の原因だろう。といっても年賀状のやりとりがあり、年に1回くらいは話す事もある、という程度だったけど。
そんなわけで連絡があった時には驚きはなかったんだけど、
「高いんだよ」「なにが」「墓あけんのって」「はぁ? 誰のだよ」「親父が死んでさ」「はぁ!? っていつだよ」「うーんちょっと前」
いきなりでわけがわからない、というのはいつもの事なので、詳しく聞いてみると、父親の骨壺を墓にいれるのに高い金がいるんだという。実はこの時はじめて、くだんの親戚が亡くなったのを知ったのだ。連絡くらいしろよ。
まぁ、ほとんど知らない親戚どもと同席するのは苦痛なだけだし、故人について話すような思いでもないんで、手間がはぶけたという思いもないではなかったが。
「骨壺墓にいれるだけで業者呼ばなきゃいけなくて7万だか8万かかるんだぜ」「それくらい掛かるだろ、特殊な職業なんだし」「開けて入れて閉めるだけじゃねぇか」「ああいうのって、管理事務所とかを通さないと出来ないから、業者がもれなくついてくんのは仕方ないだろ」「やだー、金払いたくねぇ。でもオヤジの骨壺と一緒に暮らすのもいやだぁ。いっそ捨てちまうか」「こらこら」
その時、ふと思いだした。
昔、見たテレビドラマで、墓の中に死体を隠す話があった。それも犯人1人で。
つまり、開けられるということだ。
「……開けるならできるかもしれん」「だろーそうだろーそんな気がするんだよ」
俺はその場で、ネット検索してみた『墓 開ける 納骨』だったと思う。
「ほー。あの骨壺いれる空間てカロートっていうんだ」「よく知ってるな」「今、ネットで調べた」「で、どうやってあけんだよ?」「待て待て、どうやってかは知らんが、自分で開けて納骨というのはありらしい。管理事務所に話はしないといけないが」「こっそりやっちまえばいいって」「よくないだろ」
もうちょっと調べる。具体的な方法は……。
なるほど。これなら力仕事だができそうだ。
「どういう形の墓なんだ?」「ごくふつーの墓だよ。冷蔵庫の形とかしてねーし」「なんで冷蔵庫なんだよ」「親父冷えたビール好きだったから」「冷えたビールがないなんて、か。じゃなくて、あれか、墓石の前に平たい石があって、そこに立って拝んだりするタイプか?」「そうそう。それそれ」「じゃなんとかなるかも。その石をどければカロートがぱっくり口を開くと思う。多分」「じゃあ明日来て」「は?」「明日49日だから」「ってちょっとおい」
切りやがった。
と思ったらメールが来て、最寄り駅までの最短ルートを送ってきやがった。いくのはウン十年ぶりなんでありがたいが、行くの前提になってるのがムカツク。誰が行ってやるかてめーで調べててめーでやれ。
というわけで、次の日の約束の時間、私は最寄り駅のロータリーにぼさっと立っていた。まさに相手の思うつぼというやつである。
墓を開けるなんて、そうそう出来る経験じゃないよな。
それに、なんかネタになるかもしれないじゃないか。
とシナリオライターの職業病がささやきやがったのだ。
というわけで長くなったので後編へ続く
無理矢理たねつけしてみた。
でも、うそはついていない。
無防備な下から鏡で覗き込んで、固くて長い棒でぐりぐりと。
しかも、やった相手は人間ではない。猫やイヌと言ったものでもないし、馬や豚といった定番動物でもない。
ああ、どんな子供が出来るか楽しみだ。生まれたら喰う。うふふ。
ポポーという植物がある。ボォボォともポーポーともいうらしいし、アケビガキという日本的な呼び方もある。果樹である。
9月から10月にかけて甘い実がなるらしく、その実は、カスダードクリームのような歯触りで、バナナやマンゴーや栗が混じったようなふしぎな味がするらしい。みな口を揃えて甘いという。なにやらうまそうだが市場にはほとんど出ないらしい。
うん。これは喰ってみたい。
ネットで調べると育てるのは結構簡単らしい。はい。注文。
2本買ったうちの一本には花が咲いていたが、どうもこのポポーというやつ、自家受粉してくれないそうなのだ。つまり遺伝的にことなる株が二本ないと実がつかないのだな。というわけであきらめたのが去年の4月。
んで2年目。
今年は2本とも花を咲くのを期待したわけなのだが、5年待っても咲かないというブログを見て不安になり、咲いていたのを送ってくれた花屋に3本目を注文。
ぬふふ。これで準備万端。9月か10月には食える! とわくわくしていたのだが。
この流れでお察しの通り、今年も去年咲いたやつしか咲かなかった。送られて来たのは最初から新芽が芽吹き葉が開き始めていた。このポポーという奴、新芽から葉がでてくるのは花が咲いたあとと決まってるので、これで今年もジエンド。
だが食べたい。あー食べたい。食い意地ゆえにあきらめきれぬ。
往生際悪くネットを調べると、ポポーが自家受粉してくれないのは一つの花でまず雌しべが活動を始め、雌しべの活動が終わるとおしべが活動開始で花粉を作り出し、よって雌しべとおしべは子供を作れないからだ、という衝撃の事実。
なら、先に開花しておしべが活動を開始した奴から花粉を採取し、後から開花して雌しべが活動している奴につけてやればどうだろう。でも、そんなうまい話があんのかなぁ。と思っていたら、すでにやっている人がゴロゴロいた。ネットは広大である。
そこで無理矢理たねつけである。
ヤルしかないでしょう。
だが、やってみるとこれがなかなか難しい。
花粉が出ているかどうかを見るのがまず難しい。
ポポーの花は下を向いている上に、うちのは高さ40センチもないので覗き込むのが大変である。
手鏡でもあればなー、と考えていて思いだしたのが貯金箱。
ごく最近、部屋の整理をしていて20年以上の眠りからさめたやつ。手のひらで包みこめる程度の大きさで、貯めるほどの収入もないので即捨てるつもりだったが、中にお金が入っている音がして、捨てるに捨てられず部屋の隅に転がしておいたのだが、こいつに小さな鏡がついていた。こいつを花の下にかざせばばっちり隠れてる場所が見える。
しかも、下にかざした状態で、ちょいちょいと花を突っついてやると、ぽろぽろ落ちた花粉は小さな鏡の上に。こりゃ便利。その上、お金まで貯金出来るのだ。
鏡の上に落ちた花粉を濡らした綿棒の先端で集めてくっつけて、雌しべにぐりぐりとこすりつけてやったのが一昨日だったか。これで花びらが落ちても花の根元の部分が落ちなければ成功である。もしこれが失敗でも、咲いてない花はあと10個ばかりあるんで、ひとつかふたつは実ってくれるといいなぁ。
ああ、はやく食べたい。
植物もお腹がすくのか
面積の狭いことを猫の額とはよくいったもので、まさにうちの庭である。
それでも椿だのがうわっているので、面倒だが手入れはしている。
というかしないと大変なので仕方がない。
土が減っている。
毎年新しい土を継ぎ足しているのに、一年経つと増やした痕跡すらない。
花が咲いたあとに埋めたり撒いたりしてやった肥料のたぐいも同様だ。
植物のやつが喰っているとしか思えない。
毎年今頃土を足すたんびに、こいつらが生物なのだと認識して新たな気付きに小さく感動するものの、多分一年経つと、そのことを完全に忘れていて、また感心するのだろう。安い感心である。人間の底が浅いからであろう。
ふと思う。土や肥料を継ぎ足さなかったらどうなるのだろうか。
これがイヌ猫ワニインコの類であれば、腹が減ったことを鳴き声などを駆使したおねだりで教えてくれるのだろうが、植物がそういうことをするとは聞いたことがない。
ひっそりと枯れるのだろうか。
というか、そもそも私のことをそういうことをねだる対象と考えているのだろうか。
それ以前に、私という存在を認識しているのだろうか。
ある人の本によれば、植物には十数個の感覚があるという。
第七感どころではない。
いったい彼らの感じる世界はどういう世界なのだろう。
ある日突然、私が消えたらなにか感じるところがあるのだろうか。