丸谷秀人のブログ

エロゲシナリオライター丸谷秀人の棲息地。お仕事募集中

わからないくらい生産的で深遠で高邁

 橋を渡ってすぐの角に公園がある。

 映画の帰りに通りかかると、2ヶ月ばかり続いていた改装工事が終わっていた。

 愚鈍なわたしには意図が理解しかねるほどにすばらしい改装ぶりだった。

 入り口の近くにあるのは、わたしごときの知能と感性ではさっぱり判らないオブジェで、一番近い形状のものをあげればキノコ、しかも鮮やか(毒々しいともいう)原色に塗られたやつが3本ばかり並んでいる。

 その奥は、砂がしきつめられた広場になっていて、夏の日差しをさえぎるものはなく、冬は冷たい風のふきさらしという、人間以外のなにかにとっては快適なんだろう空間に改造されている。

 さらに手と右のへりにはベンチが並び、これもまた日差しをさえぎるものも風をさえぎるものもない、昼休みに近所の人や勤め人たちが憩うことも子供が遊ぶことも断固拒否するという強い意思に貫かれた設計思想だ。

 さらに奥に遊具とみせかけて、よくよく説明板をみると、どれもなにやら大人向けの健康器具らしいものが5台ばかり並んでいる(サイズ的に大きすぎて子供の手に負えまい)。休憩などせず励め学校の帰りに友達とだべったりするなボール遊びなどもっての他というお役所心なのだろう。休むなら働けというまったくもってありがたくて涙が出そうな心配りだ。

 

 かしこくもおそれおおいお役所様がここを改造なさったのは、以前のここに多々問題があったからなのだろう。

 以前、公園の中央にそびえていた樹齢100年近くの大きな柳の作る木陰に配置されたベンチは、日中から夕暮れにかけてひとびとを休息という非生産的な行動に誘う。休息ならまだしもいかがわしい本(生産的な仕事にかかわらない本は全ていかがわしいのだろう)を読みふけったり、あろうことか惰眠をむさぼるけしからん人々も出てしまうかもしれない、そのような非生産的な行動の数々をやめさせるために柳は切り倒され、ベンチは撤去されたのであろう。

 毎年春には見事な花を咲かせていた十数本の桜は、夏はその木陰で日差しをやさしくさえぎり、人々を非生産的な行動に誘い、冬は風をさえぎり人々の精神の鍛錬を邪魔し、秋にはさびしげな風情で人々に詩情という金にならない無駄な感情をいだかせ、春には多くの花見の人々を呼び込み、これまた飲酒、放吟、泥酔などなどの非生産的な行動を誘発するけしからんものであったので、一本残らず切り倒されたのだろう。これで毎年春の恒例行事もめでたく消滅ということだろう。

 さらに木々が作る木陰は、夜、人目から隠されているのをいいことにラブホテル代わりにここを使用する人々を招き寄せてもいた。やるなら近所のラブホテルに金を落とせ、資本主義に貢献しろというお役所のありがたいご意思をびりびりと感じざるをえない。

 そして、公園の入り口にあった武家屋敷の門は、江戸時代からあったとかで、そろそろ文化財に指定されるのではないかと近所に噂されていたが、古きものなど単なる過去の遺物であり日々の進歩の前には消え去るべし、後ろ向きで非生産的なものは抹殺せよという、未来への大いなるビジョンのもと破壊されたのだろう。近所の人によれば、門はパワーショベルで五分もしないうちに引き裂かれたという。もし今年壊しておかなければ文化財に指定せざるを得なくなり、公園を好き放題にいじれなくなるのを嫌った再開発業者とそれに操られるお役所の人間が手を回したという噂もあったが、それはゲスのかんぐりというもの、お役所様は常に人々のことを考え最善を尽くしてくれるはずであり、わたしなど思いも及ばないような深遠なビジョンがあるのであろう。深遠すぎて理解するのはたぶん不可能だろうし、正直知りたくもないけれど。

 

 江戸時代、このあたりは下級武士の家が並ぶ町並みであったという。実際、わたしが物心ついたときには、現在公園のある場所は、崩れかけた土塀に囲まれ、先ほどのべた門が開いたまま建ち、中には築山だったらしい小高く盛り上がった場所と、そこにそびえる柳の木、屋根から雑草をはやした蔵が2個建っていた。子供らは幽霊がでるという独創性とは程遠いそんじょそこらにありそうな怪談を話していたものだ。敷地の隅にあった防空壕の入り口だったらしい扉も、中には白骨が今でもあると噂され、ちいさなハートを震え上がらせていたものだった。

 

 ついにその全てが消された。

 

 わたしがこの公園と称する場所でいこうことは2度とないだろう

 お役所の高邁すぎて図りがたい意図に支配されたこの公園には、お世辞にも生産的とはいいがたいわたしの居場所はないだろうから。

 

 

 

ポケポケしている人を捜して

 ひさしぶりに外へ出る。

 小さな橋を渡り一番近いコンビニへ向かう。

 ちょっとだけ楽しみにしてることがあったのだ。

 あちこちでポケモンをゲットしている人達が、ポケポケしている光景が見られると。

 テレビやネットでは、いたるところで人が固まってポケポケしているのだから、きっとうちの近所でも固まってポケポケしているはずなのだ。1度は見ておかねば。

 

 コンビニについてしまったがポケポケしている人は見かけない。

 仕方がないので、もうひとつ先のコンビニへ向かう。どうせ急ぐ用でもないのだし、終わったら帰るだけなのでいくらでも徘徊してられるのだ。不審者として警官に見咎められない限りは。

 

 これには根拠がないわけではない。はるか昔この国でワールドカップというものがあって、町の住人より多くの警官が立っていた時に、ナップザックを開けろと迫られたことがあったのだ。おそらく外から見てナップザックが不自然な形に膨らんでいたからであろう。私が怪しいからでは断じてない、と思いたい。

 別に強制力はないそうなので逆らってもよいらしいのだけど、そうしたら殴られるかもしれないしイチャモンをつけられるかもしれないし隠しカメラかなんかで記録されて不穏分子扱いされブラックリストに載せられるかもしれないから小心で反骨心がない私は逆らわなかった。実のところ少々逆らいたかったのだが仕方がない。

 中には財布とカバーがかかっていない文庫本とカバーがかかった文庫本とアキハバラで買ってきたフィギュアが入っていた。うん、やましいところはない全て合法である。警官はにこにこほほえみを浮かべながらカバーを外して、と言ってきた。私は仕方なくカバーを外してみせた。黒い本だったつまりエロ小説だった確か未亡人をあれこれしてあんあんさせて縛って釣って剃って全財産を奪って裸で夜の商店街を走らせたりする類のやつである。表紙もいかにもそれっぽかった。その時のなんとも言えない空気は決して忘れないであろう。忘れたいけどな! フィギアの方はごくごく健全でスカートが短くて下から覗くとパンツが見える系だったからセーフだろう(なにが?)

 

 幸いにして警官の姿はなく、ほてほてと歩いているうちに次のコンビニにもついてしまった。ポケモンをポケポケしている人は見あたらない。まぁアレだ。私が住んでいるような町だからきっとイケてない時代から取り残された町なのだ。だからポケモンが少ししか生息していないのだろう、多分。

 そういうわけで次のコンビニへ向かった、駅前だからもっと賑やかであちこちでポケポケしている人がいるはずだ、と思ったのだけど、やっぱりポケポケしている人達には出逢わない。このさい人達でなくても人でもいいんだけど、それでもいない。仕方がないというわけで次のコンビニへと向かう。

 歩きスマホをしている人にはなんども出逢ったのだけど、みな黙々と歩きスマホしているだけで、ポケモンをポケポケしているかは判らない。すれ違いざまに人のスマホを覗くような器用さを私に期待しても無駄である。そんなことを試みたら前から歩いて来た人とぶつかるのがオチである。そして因縁をつけられて、骨折したと言われて多額な賠償金を請求されローンとかいう横文字の仮面をかぶった高利貸しで限界まで引き出すように迫られたあげくに、身ぐるみ剥がされて内臓を抜かれてしまうのだ。知らないうちに生命保険に入らされているのは常識である。

 

 次のコンビニについたが、出逢わない。

 この国のいたるところでポケポケしているはずなのに、私が住んでいる町は取り残されて夕暮れの中でひとり寂しくたたずんでいるのか、それとも、私は別の国に住んでいるのだろうか。

 

 ああ、いったいポケモンはどこにいるのか。

 

 そうしたらなんと、目の前の信号待ちの人がスマホを熱心に見ているではないか! あの真剣なまなざし、まちがいない。しかも後ろから覗ける位置! ついに私もポケポケしている人を見つけられたぜゲットだぜ! 興奮を懸命に押し隠しながらその人のスマホを覗き込んだ。

 

 彼女は畑からキャベツを収穫すると、うふふ、と笑った。

 

 違うゲームだった。

 

 気落ちした私の耳元で声がした。

 

「なにをしているんですか?」

 

 振り向くと警官が立っていた。にこにことほほえんでいた。 

 背後から女性のスマホ画面をガンミしている不審な男! すなわち私!

 うろたえた私は、咄嗟にポケモンをゲットしているのかと思って思わず……。と正直に答えてしまった。

 

 警官は苦笑いを浮かべて、誤解をまねくようなことは謹んでくださいね、と言って、あっさりと立ち去って行った。

 

 呆然と立ち尽くして取り残された私は不意に気付いた。

 そうか、私のような胡乱な行動をしている人間はごろごろいるのだ。そうでなかったらこんなにさっさと解放してくれるわけがない。

 

 つまり

 

 この町のあちこちにポケモンをポケポケしている人を捜している暇人がいるんだ! 私はひとりぼっちではなかったのだ。

 

 ポケモンは見あたらなかったが、なんだか楽しい気分で家へ戻った私は、用事を忘れていたことに気付いて、もう一度外出するはめになったのだった。

 

 

 

 

私とポポーとコケと雑草

 雑草という植物はない、と昔のえらいひとは言ったらしい。

 でも、残念ながら、園芸(というほどでもないが)していると雑草はやっぱり雑草である。ポポーの植えてある鉢にすきあらば生えてくるクローバーなんて雑草としか言えない。せっかくやった肥料や水を横からかすめとる奴らである。数日目を離すとすぐはびこる。しかも根をはりめぐらせているので、ちゃんと根ごと抜かないと駆除出来ない。しかもこの根が結構長く、しかも簡単に切れる。とってもやっかいである。毎日毎日ぷちぷちと抜いていると、きっとこんなに抜いていたらいつのまにか四つ葉も抜いているなぁ、こうやって日々自分は幸福のタネも抜いているのにちがいない……なんていやな考えにとらわれて更にやっかいである。いやいや四つ葉のクローバーにそんな魔力があるなら、クローバー捜してるこどもらはとっくに幸せになっているだろう、あ、そうか、そんなもの捜している時間があるんだからすでに幸福じゃねぇかうらやましい。じゃあビルの下の空き地とかいかにもクローバーが生えてそうな場所を草刈りしている奴らはどうだ、いつのまにやら幸福を失っているはずじゃないか、いやいや、あんな高いビル建ててるくらいだから少なくとも金銭面は幸福に違いない、幸福は金で買えないというがそういうことをほざく奴らは大抵、すでにある程度のお金をもっているというのが相場なので迂闊に信じてはいけない。もういっそ国中に遺伝子組み替えして四つ葉のクローバーしか生えなくしたタネをまきちらしてそこら中四つ葉だらけにしたら、国全体がしあわせになるんじゃないだろうか、なんてことが効果があることが立証されてるならすでにやってるよなぁ。いやいやみんなが幸せだと困る人間がいるから実行されないのだろう。搾取しないと儲からないからな! などなど余計なことを考える。

 3ヶ月あまり毎日毎日抜いていたら流石に出現する勢いも減り、今では数日に一個抜く程度になった。ふふふ、お前らの力はそんなもんか! 雑草なら雑草らしくはびこってみろやい! と無茶ぶりをする私だったが、この傲慢はいつか自分にはねかえってくるに違いない。というかすでに私は一般的に言って人間としても雑魚だったり雑草だったりする側だし。抜かれて捨てられる側だし。もうすでにはねかえっているじゃないですか。毎日自分が抜いてるのは自分なのだ! なんという精神的拷問。

 さて、毎日毎日抜くというアナログな方法より何か効率的な対策があるはずとネットで調べてみると、不織布を鉢の表面にかぶせるという方法があったんですな。鉢の表面を影で覆えば植物が生えてこないという言われてみればコロンブスの卵。取り外しも簡単で、鉢のサイズに合わせた大きさに切り取られた円形の不織布には、縁から真ん中へとひと筋の切れ込みが入っており、そこに根元をぐっと差し込んでやればいいとまぁ至れり尽くせりの工夫。だが残念。うちのポポーには無理なのですよ。なぜならこのポポーというおいしい実のなる(予定)の植物、樹齢が5年くらいは経たないと枝も幹もかなり細い。そこで三鉢とも3本ずつの棒で支えてやっている。切れ込みの入れようがないのです。太くなったらいつか太くなったら不織布で影をつくって雑草を殲滅してやるのだ! 待ってろよ。

 だがである。別に鉢を覆うなら不織布でなくてもいいじゃないか、ということで、3鉢の内ひとつには別の方法が試してある。偶然コケが生えてきたのを毎日毎日霧吹きで湿り気を与えてやって育てた結果、今や鉢一面がコケで覆われ、雑草は2週間にひとつくらいしか生えてこないようになった。万歳。こうしてコケ類が雑草に勝つという進化の階段と逆のことを起こしてやったのだ。しかも毎日毎日霧吹きで養生してやっていると、なんだかコケにも愛情が湧いてくる。よく見ると普通の植物とちがっていてなかなか面白い姿をしている。地を這う葉っぱらしきものの表面に呼吸孔らしきラッパ状の器官が突き出していたり、花の代わりに傘状の胞子を飛ばすものが林立していたり……最近ではコケを育てているのかポポーを育てているのか段々わからなくなってくる始末である。なんせポポー、実が出来ていれば今頃徐々に実が膨らんで来て日々楽しみを提供してくれるのだが、実がひとつもつかなかった以上、今や単なる愛想がない植物にすぎなかったりする。ホントにこれといった特徴がない奴らなんである。まぁかわいいけど。

 もしポポーが太くなって、棒の支えがいらなくなって鉢を不織布で覆う日が来ても、コケが枯れるとかわいそうなんで、コケが生えてる鉢には不織布はかぶせないつもりである。

 いや待て。コケだってポポーの水や肥料を横からかすめとっているじゃないか、なんで雑草は抜かれてコケはかわいがられるのだろう? これは不公平なのではないだろうか。不正なのではないか不正義なのではないか。

 

 卒然と私は理解した。

 確かに雑草という草はない。愛されていない草があるだけだったのだ。

 

 

 

神聖なる儀式だったりしたらいやだなぁ。

 人間ピラミッドというのがあるそうである。見たことはない。

 運動会などでよくおこなわれているらしい。

 名称からすると、上半身裸になった生徒達が巨大な縄に群がり、縄で繋がれたそりに積まれた巨大な石を引っ張って校庭を一周するのであろう。ピラミッドというからには、石は一個ではなく、複数の石を何段も積み上げるのだろう。一周回って終点につく度に積み上げていくのだろう。

 運動会でやるにはハードな競技であることよ。片付けも大変そうだし。

 くわばらくわばら。

 様々な方面から危険性が指摘されている、と聞いたので、そりから落ちた巨石の下敷きになったりしたらそりゃ危ないと納得と思っていたらどうも違うらしい。

 そりゃそうだ。上半身裸ではいろいろまずいだろう。特に女の子は。

 ではなく。

 聞いたり読んだりしたところによれば、四つん這になった子供達が何段も重なってピラミッド状になることらしい。当然体操服着用である。その際、かなりの体重が下の段の子供にかかるらしいし上に、バランスも崩れやすいらしく、トランプの城の如くぺちゃんこになると、骨折したりする子も多数でるとのこと。

 各自治体で中止とか段数を低くするなどの対策が進行中だという。

 

 でも、いまだ頑としてピラミッドを続けている学校も多くそれどころか段数を上げているところさえあるらしい。なぜそこまでして彼らは続けるのだろう? 私なら面倒そうなものはさっさとやめるところだし、私でなくても面倒そうなものはとりあえずやめておくのが最近のブームだと思っていたのだけど。

 

「なんとか今年も出来ましたな校長。段数も一段とはいえあげられましたしね」

「うむ。練習中重傷者が出た時はダメかと思ったが、山田先生が熱弁を振るい周囲を引っ張り、なんとかしてくれた」

「生徒達に一体感や達成感を味あわせるには、人間ピラミッドは最高。負傷した坂口のためにも成功させなきゃならん、でしたか」

「なかなかよかったよあれは。なんせ彼の情熱と言葉には真実があった」

「あくまで山田先生が信じている真実でにすぎませんがね……本当のことを知ったら彼はどう思いますかね?」

「知らないのが幸せなこともあるのだよ教頭」

「同感ですね。あれが『おでーぼろさま』に捧げる儀式などと知ったら……」

「あの手の人間は知っても信じんよ。ある意味、しあわせな人種さ」

「それにしてもひどい神だ。人間に危険を冒させることで、その信心を測るとは」

「そういうがね教頭。神というのは意地が悪いものなのだよ。聖書を知ってるかね? 信心深い男に、自分の子供を生け贄に捧げよと命じた話を」

「捧げたのですか?」

「捧げようとしたところで止められたのだったかな? おそらく肝心なのは、彼は苦悩したが本気で捧げようとしたことなのだろう。我々が子供達が負傷する可能性を知りつつ、今年も儀式を強行したようにな。行う学校が減った分だけ、段数も増やさざるを得なかったが、そのことも『おでーぼろさま』には汲み取って欲しい物だ」

「校長。もし、全ての学校が人間ピラミッドをやめたら、なにが起こるんでしょうね」

「さぁな……私も恐ろしいことが起こるということを前の校長から引き継いだだけだからな。起こってみないことにはわからんよ。だが、君は体験したいかな?」

「賭をするには相手が危なすぎですな。相手が神ではね」

 

 みたいな会話が行事終了後行われていたのではないだろうか。

 あれは御柱とか同じ宗教儀式なのではないだろうか。なんせピラミッドだし。

 秘密の宗教儀式だとすれば、人間ピラミッドが全国で中止される日が来たとしても、その時には別の危険な儀式が行われるようになるのだろう。

 

 本当に子供でなくてよかった。

 

美の饗宴 座布団に命をふきこむ 名匠 田崎真之介

 天気がよくなったので、冬のあいだ使っていた座布団を干すことにした。

 座布団といってもサザエさんに出てくるような渋いのではなくて、ホームセンターで買った低反発の奴である。値段は千円もしないが具合がいいので愛用している。でも、こういうのって値段が高い座布団と低い座布団でそんなに差があるのだろうか。1万円の座布団は一万円の座り心地がするんだろうか。1万円のヤツは座っただけで思わず「はふぅ……」とため息をもらしてしまうくらい絶妙にして甘美な座り心地なんだろうか、それはきっと座ったのに全く重さも暑さも感じさせず夏は涼しく冬はあたたかく甘い雲にでも包まれているようにそっと抱きしめてくれるのだろうか、そしていつまでも立ち去りがたく座り続けていたい座る以外なにもしたくない、ああ座布団お前はなんて素晴らしいんだ、と餓死するまで座ってしまうほどの見事さなのだろうか。一万円でそこまで期待するのは流石にアレなので、100万くらいならそんな座布団も手に入るのだろうか、当然、一個一個職人が手作りするような一品もので見る人が見れば「こ、これは名匠 戸武座新左衛門の作ではないですか! こんな素晴らしいものの座り心地を味わえるとは……」セリフを言わせるんだろうか。スゴイ凄すぎる! いやいやそこまで言ったら100万でも怪しいものである。数百万いや超絶名人田崎真之介の作品ともなれば1000万はするんじゃないだろうか。しかも名人田崎が関西財界の大立て者矢島虎吉の特注を受け息子が交通事故で病院に運び込まれたと知らされても顔色ひとつ変えず黙々と作り続けそんなに金が欲しいんかという悪罵にも我関せずで完成させそれに座った矢島が「ああ、すごい座布団や……哀しみも喜びもふんわりと抱き留めてくれはる……まるでわての亡くなったおかんのような……」とつぶやいたとい名品「おかん」となれば、その値段は億をくだらぬであろう。

 座布団すごい。座布団界すごい。座布団界深い。

 だが最近は、その枕界にも変革の波が押し寄せ、あの有名なgoogleも座布団の研究を始め、内部に超小型の電子回路を組み込み、座った人間の状態に合わせて微妙に変形し柔らかさまで変えるテクノロジーの塊とも言える座布団を開発しているという、そうなれば名匠の作った座布団なみのクオリティのものを安価に提供出来るという、発売予定は2019年。そうなればオリンピックの観戦者のうちで、MY ZABUTONをもってくる人間も多かろう。この東京の地で東西の座布団が激突する日も近い。

 そんな頂上決戦とは関係なく、私の座布団は色は白だが冬じゅう使い倒していたせいで汗や汚れですこし薄汚れている。そこでカバーは洗濯し、中とは別に干すことにした。カバーを外すのは初めてである。ワクワクした。というのはうそで、そんなことにいちいちワクワクできるならもっと人生は楽しいだろう。1個目のカバーを外すと、中はちょっとだけ弾力が違うふたつのスポンジが重なってできたものだった。この微妙な差が低反発を生むのだろう。どうみても匠の一品ではない。あたりまえである。でも、なにかの手違いで混じったりするかもしれないではないですか。しねーよ。

 2個目のカバーを外した。

 私は思わず目をぱちくりした。

 

 中身に毛が生えている!

 

 買った時期には2週間ほどの差はあるが両方とも同じホームセンターで買ったものである。だが、最初の1個目にはこんなものはなかった。

 スポンジ部分一面にひょろひょろとした毛が生えているのだ。

 微妙なちじれぐあいからして普通の糸とは思えない、かといって顕著にちじれているわけでもないので、あやしい部分の人毛でもなさそうである。わたしのか? と当然思ったが、もしわたしのであれば、座布団両方ともこうなっているはずである。では、工場で作られた段階で毛が生えていたのだろうか? いったいなんのために!? だが、なにか意図をもって生やしているのだったら、両方ともに生えているはずである。工場が違ったのか、工員さんに毛深い人がいて人毛をまきちらしながら作業をしていたのだろうか。彼または彼女の人毛は世界中に拡散しているのだろうか。この毛から遺伝子を採取してクローン培養すれば、体毛の濃いその人が現れるのだろうか。それとも、これはなにかの試作品で、毛があることによってなにかの効果を狙ったのだろうか、それがたまたまわたしの手元へ来てしまったのだろうか……。謎は深まるばかりである。

 ナチスがユダヤ人の毛をソファの中身に使っていたのと思い出してしまった。

 なんとなく気色悪いので毛抜きで毛を抜きだしたのだが、いくらやっても終わらない。一面に生えていて量があるんである。

 

 いいや、座布団は座布団だし。

 

 わたしは毛抜きも考えるのもやめて座布団を干すことにした。

 生えてるにしろ生えていないにしろ一冬、なにごともなく座布団だったのだから、なんの問題があろうか?

 

 そして現在、暑さのため使われていない座布団は、なにごともない顔をして部屋の隅にしまわれている。どちらかはカバーの下に、もじゃもじゃの人毛を隠して。

 でも冬には忘れているだろう。

 

 

 

 

知ったこと失ったことその他のこと

 さて、右耳が詰まってしまった事態に対応するべく耳鼻科へ行ったのが問題は解決せず薬を手に入れたところまでが前回。

 唐突だが、わたしは説明書を読むのが大好きだ。軽度の活字中毒なのでチラシまでなめるように読む。ゲームをする前についている解説を読むのは当然であるし、電気製品でも同様である、文房具等の注意書きも読まずにはいられない。そんな人間なので薬の説明書もなめるように読む。

 『耳浴』という単語を始めて知った。

 薬を耳へと染みこませるために必要な手順で、耳の中へ指定された量の液体をたらし込んだのち、そのままの姿勢で10分ばかりじっとしていることなのだ。

 なおこの時、注意するべき子とは2つ、①容器を耳に触れさせてはならない。②耳の後ろのへりを引っ張り、耳の穴をなるべく垂直にする。

 手に入れた薬で5日間に渡って日に2回5滴ずつ右耳へ垂らせというのが熊がわたしに課したミッションであった。まぁ簡単でお茶の子さいさいである。だって、耳の穴の中へ薬を垂らして10分ばかりごろごろしてるだけだ。

 

 と思ったのだが、いつもと同様わたしの考えは甘かった。スイートな人間なのだ。いくら経験を重ねても成長しないバカなのだ。

 右耳の中へ液体を垂らす、というのが結構な難事だった。右耳へ上にして横たわり右手でスポイト状の容器をもっている姿勢を想像して欲しい。スポイトの先端がどこにあるかを見ることは出来ない。どうやって先端を右耳の穴へと誘導するべきか?

 やってみて判ったのだが耳の穴というのは結構小さい。ただ漠然と右耳のあたりへスポイトの先端をかざして垂らすと、液体は穴へと入らず外側のうねうねした部分へ降り注ぐ確率が高い。強引に左手を回してスポイトの先端に指を添え穴へと誘導してやることも考えたが、おそらくスポイトの先端が肌に触れるのは衛生上の観点だかでダメなのだろう。となるとそれも難しい。

 ええいままよ。

 耳の穴のあたりへ何発か落とせば、きっと半分くらいは落ちるだろう!

 何回か無駄な落下を費やしたのち、わたしはコンビニで貰って使わずにとっておいたストローを取り出し、その先端を5㎝ばかりカット、切り落とした部分にスポイトの先端をはめ、耳の穴にストローを突っ込むという方法を採用した。

 耳の穴にらくらくと液体が入っていく感触を味わった瞬間。わたしの中に感動が広がっていった。

 見たかこれぞ工夫。これなら耳の穴へ直接触れずして液体を投下出来る。人類の叡智である。ストローは使ったら捨てればいいので衛生的にもばっちりである。まさに必要は発明の母。プラスチックと大量生産と薬学の合体が誰の力も借りず耳の穴に液をたらし込むという偉業へと導いたのだ。うははははは。

 

 と書いていて気付いたのだが、鏡使えばよかっただけじゃね?

 うんそうだね。

 ばかだねこのひと。

 うん。ばかだね。

 あはははは。

 

 まぁそんなこんなで、液体をたらしつづけて5日間2回ずつ系10回の完璧な耳浴を重ねて予約日当日がやってきた! 熊が事前に告げてくれた通り、右耳の穴の中で何かがぶっくりと膨れあがり右からの音は聞こえない。海鳴りか心臓の鼓動か、寄せては返すなにかの音が響き続けるのみ。

 わたしは待合室で、しばしのあいだ目をつぶり左耳を塞ぎ最後の沈黙の世界を楽しんだ。塞ぐ前に響いていた子どもの悲鳴も聞こえない。なんだかなごり惜しい静寂である。ああ静寂よ。深海底にも等しいなつかしき静寂よ。

 不意に、耳を塞いでいた左手をつかまれ、耳をつんざく子どもの悲鳴。

 なにごとかと顔をあげると、受付の女の人が汚物でも見るような目でわたしを見下ろしていた。いや単に不機嫌だったのかも知れない。そりゃそうだろう。目をつぶり耳を塞ぎ静寂で遊んでいては呼び出しの声も聞こえないからなぁ。

 彼女はわたしの名前を呼び、順番です、と告げた。

 

 熊は人喰い熊めいたどう猛な笑顔を浮かべ大きな毛むくじゃらの手でわたしの頭をぐいっと掴むと左へ向かせ右耳を覗き込んだ。ほほう、ちゃんと溶けているようじゃないですか! 結構さぼるひと多いんですよね、固いまんまだと今度はドリルでも使わないといけなくなっちゃいますよ! ドリルだとたまーに鼓膜とか突き破って、もっと運が悪いと頭蓋骨までやっちゃったりするんですよね! はっはっはっは。

 あいかわらず怖い。

 冗談なんだろう、うん、冗談だろう。だって熊はわざわざそんなことをせず、あの恐ろしい口で人間を食べるものだから。熊じゃないけど。

 

 先日も使われた装置が右耳へ突っ込まれ、じゅぼぼぼぼぼぼぼずじゅるるるるる、と何か濡れたどろどろしたものが吸い込まれてゆく音が響き渡る。お、すごいすごいこんなに吸い出してもまだ鼓膜が見えない! これだけためこむとはすごいよ! お、おおおおお! 耳垢の量に感嘆されてもうれしくない。

 いきなり、じゅぼじゅじゅぼぼぼこっ、という轟音がしたと思うと、なにもかもがクリアになった。こまくみえたよー。おわりだね。

 

 あっけな。

 

 うーんごめんね。すごい量だったけど、全部どろどろに溶けてたからこの前みたいに見せて上げられないんだ。いや、別に見たくないです、とも言えず、はぁ、と口の中でつぶやいたが、言われてみればチョット見てみたかったかもしれない。先日見た小指の先程の物体より更に大きな耳垢なんて見る機会はこの先なかろうから。まぁ、あくまでチョットだけで、どうして見せてくれないんですか! と泣いてすがるほどのことじゃないけど。

 

 熊の説明によると、わたしの耳垢は日本人としては少数派の湿った耳垢で、たまりやすいのだそうだ。耳かきや綿棒で耳掃除をしても取れる量より耳の穴の壁押しつけられくっついてしまうほうが多いそうで、ちゃんと取ろうとするならこうして耳鼻科に通う以外方法はないらしい。熊とのつきあいはこれからも続いてしまうようだ。

 

 外へ出ると、洪水だった。

 音の洪水。

 車の音、人の声、息づかい、世界は音の洪水だった。

 

 わたしは立ち止まって両耳を塞いでみたが、あの静寂はどこにもなかった。

 

 

 

なにが子どもを泣かすのかを私は知ってしまった。

 生まれて初めて耳鼻科へ行った。

 もしかしたら、親につれられて行ったことがあるかもしれないが覚えていない。

 少なくとも生まれて初めて自腹を切って耳鼻科へ行った。

 

「ぎゃぁぁぁあいやぁぁぁぁぁ」

 

 朝イチの予約時間通りに行った途端、出迎えは悲鳴。診察室の向こうから響いている。が、既に四人ばかりいた人びとは動揺の気配すらない。

 立ち尽くす私を受付の人は、どうぞ、とうながし、淡々と事務的に処理。お掛けになってお待ち下さい。その間にも響き渡る悲鳴。どうして誰もが平然としているのか。隣でいたいけな子どもが虐待されてるかもしれんと言うのに……。

 

 もしかして……いつものことなのかっ!?

 

 しばらくして悲鳴が途絶えると、母親らしき女性にをひかれた男の子が現れた。

 顔は涙でぐしょぐしょであるし親は疲れた顔をしていたが、受付の人は特に気をつかうわけでもなく、淡々と会計を済ませ処方箋を渡し、まだぐしぐしと泣いている男の子を引きずるようにして女性は出て行った。

 万事にゆきわたる慣れた様子、やはりいつものことなのだ。

 

 そうこうしているうちに、私の順番がやってきた。

 泣いていたのは子ども、大人である私は泣くはずがないなんて、とその時は思っていました。

 

 診察室によくあるタイプの椅子に座った医師は口の周りに髭をはやした中年男性った。私が待合室で書いた問診票を見ながら、どういう症状ですかと問うてくる声も穏やかで、男の子から悲鳴と涙をしぼりだした恐怖の要素はどこにもない。子どもはすぐに泣くものだし、たまたまだったのだろう、と考えたいところだが、周囲の慣れた態度が気になる。

 などと考えていると、どういう症状ですか、ともう一度訊かれたので、右耳がつまったらしくて聞こえが悪くなった、と答える。

 手慣れた様子で医師は右耳を診察してくれる。日がな一日人の耳穴を覗き込む人生とはどういうものなのだろう。それは日がな一日女性のアソコを覗く産婦人科医と似ているのか、それとも、人の歯並びを覗きに覗く歯医者の方に似ているのか、どうなんでしょうその辺?

 などとらちもない考えにふけっていると、くいっと首を反対方向へ向けられ、左耳まで調べてくれる。左の方はなんの問題もなく聞こえるので、念の為というやつだろう。

 

 「左はなんとか鼓膜が見えますが、右は全く見えませんね」

 「は?」

 

 なんですと?

 と虚を突かれて自失してしまった私に、医者は親切にもくりかえしてくれた。左はなんとか鼓膜が見えますが以下同文。でも、左は聞こえるんですよ。と予想外の事態を把握していない私に、左はなんとか鼓膜が以下同文と苛立つ様子もなくくりかえしてくれた。あんたいい人や!

 

 いきなり医者は立ち上がった。

 で、でかい!

 医者というよりはアメフト選手のほうが似合うガッチリとした体型。

 みっしりと毛が生えた手の甲が人類が置き忘れて来た野生の香り。

 なにを立ち上がったかと思って内心身構えたが、甲にみっちりと毛がはえた手がつかんだのは細い管が先端についた怪しげな機械だった。握りの部分の尻から長い管がのびている。

 察するに、あれを耳穴へ突っ込んで中にたまったのを吸い出す機能をもっているのだろう。視線に気付いた医者は、大丈夫です。ちょっと吸い出すだけですから、痛かったら言ってくださいね、と言って、笑った。

 

 こわっ。

 

 おそらくそれが彼の癖なのだろう。笑うとくちびるがめくれて獅子舞のごとく歯茎までが現れ、しかもひげ面がうまい具合に威嚇効果をもって大変怖い顔だ。子どもが泣くわけだ。クマだ。しかも北海道辺りで「人間っていうのも結構くえるな」とかうそぶいてる感じのクマだ。もし私が子どもなら泣いていた。危ないところだった。いや、ほんとう、泣いてないから。

 わしっと頭を掴まれ、椅子のヘッド部分にぐいぐいと押しつけられる。ちょっと力が強すぎると抗議する余裕もなく、右耳に何かが突っ込まれた感触がするやいなや、大音響が響き渡った。予想通り掃除機を耳元で鳴らしたような音である。が、すぐ、ガリガリという音がそこに加わる。

 ほう、固いなぁ。固い! こりゃ固い! 固い固い! とヒグマは実に楽しそうだ。やわらかかったら楽しくないのかお前は。というか私は全然楽しくない。んふふぅ。こりゃ溶かすしかないねぇ。がりがりごりごりとごぉごぉと右耳の中で大音響がオー消すトレーションされて響き渡る。とにかくうるさい!

 と思ったらいきなり音が消えて、くるりと逆を向かされた瞬間、左耳に器具が突っ込まれる感触。ごぉごぉという轟音。そしてじゅるぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼという異音が

響いたと思うとすぐ途絶えた。ふふふ、取れた取れた取れましたよぉ♪

 ヒグマが助手の人がさっと差しだした銀色に光るお皿に何かをぽろっと載せる。

 

 なんと小指のつけねくらいまでの太さと長さを誇る塊だった。

 

 あの、これって右耳からじゃないんですよね……? と恐る恐る問うと、左耳にこれだけたまってたんだよ、と朗らかに答えてくれる。お願いだから笑うのやめてくれ、怖いから。という内心の願いもむなしく恐ろしい顔のまま、左耳は固くなっていて全く取れないから、溶かして貰うことになるね、とあいかわらずほがらかな声で教えてくれる。薬で耳垢がふくらむから、もっと聞こえなくなるから注意するようにね。車が右から来ても気付かないと思うよ! 交通事故はボクの管轄外だから! はははは。と朗らかな声で恐ろしい顔で恐ろしいことを言う。ヒグマだからなぁ。

 

 受け付けにて一週間後の予約を済ませ、近所の薬局でくだんの薬を出してもらう。

 目薬の瓶のような容器に入った透明な薬だ。これを毎日朝と夜の2回耳の右穴から4か5滴垂らして固まった耳垢を溶かすらしい。耳垢って脂だよなぁ、有機物溶かすんだから耳まで溶けたりしないんかな、間違って鼓膜が溶けたり……そこから脳内まで染みこんで溶かされて……いくらなんでもそれはなかろう。

 

 それにしても聞こえない。耳鼻科で直ると思っていたのに直らなかったからか、余計、聞こえないのが気になってしまう。こうしている間にも、固く固くなった年代物の耳垢が右耳を占拠しているのだ。

 

 年代物だけあって真っ黒だったらいやだなぁ。