川の名前なんて知らない
橋の欄干から川の流れを見る。
いつもコンクリートの川底が丸見えの浅い川で、側面もコンクリートで固められているので風情もなにもない。両岸にも並木なんてこじゃれたものはなく、薄暗い灰色の建物の壁面がずらっと並んでいるだけだ。遊んでいる子供もいないし、夜に蛍が飛ぶこともない。川底が平で水が淡々と流れているせいかボウフラが湧いている様子もない。水のにおいしかしない。人をひきつける要素が皆無という川だ。実際、長年近くに住んでいるけど、この川の名前をいまだに知らない、というか、知らないことにすら気付いていなかった。
死体が流れていても誰も気付かないだろう。なんせこんな川をじっくり見ている人間なんていやしないからだ。慢性ネタ不足で途方にくれているライター以外は。まさにわたしのような人間だけが見る可能性があるわけだが、そもそもこの川に死体を流すこと自体が結構難易度高い。放り込んだらすぐ底にぶつかるし、そもそも流れるほどの深さもない。
なんと面白くないやつなんだろう。これが川である意味があるんだろうか。
なんと面白くないやつなんだろう。こいつライターである意味があるんだろうか。
こうやって昼間からぼぉっと川を眺めていたら、自殺でもしようとしているんじゃないかと誰かが止めてくれたりしないだろうか。ネタになるし。そうしたらわたしは、言葉はいらない金をくれと言ってしまうかもしれない。
その時、無言のまま札束を渡されて立ち去られるのと、無言のまま川に突き落とされるののどちらがこわいだろう。どちらにしろネタにはなるけれど。
もちろん自殺なんてする気はない。痛そうだし。この川は浅すぎて身を投げ出したら川底で全身打撲となるだろう。痛そうだ、とか言っている時点で、死ぬ心配はないというものだ。そんなことを意識しているヤツはそもそも身投げなどしない……か、どうかは判らない。痛いだろうな痛いだろうなでも生きていくよりはマシという人もいるかもしれない。
話しかけてきたのが警官だったらどうか。そもそもどう話しかけてくるんだろう。
「死ぬな!」 いやまさか。いきなりすぎるだろういくらなんでも。
「生きろ!」 いやいやまさか。これまたいきなりすぎるだろういくらなんでも。
「署まで来てもらおうか」 いやいやいやいや。
「どうかしましたか?」 くらいが穏当なところか。おもしろくないけど。
「気持ちはわかります」 いきなりこんなこと言われたらいやだなぁ。
お前になにが判ると言うんだ。
「わかります。売れないって辛いですよね」
ちょっと待て、どうして売れないって判るんだよ。
「いかにも売れなそうな顔をしてますから」
貧相な顔をしているのは認めるが……確かに売れなそうな顔だ。いろいろな意味で。
「背中を押してあげましょうか? いちにのさんっ!」
って、いきなりなにをする!? うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
もちろんそんな面白い警官がその辺にいるわけもなく、ただ川を見つめ続けるしかなかった。誰も話しかけてこないし、こちらから話しかける相手もいない。そのうち川の一部になった気分に一瞬なったが、どこに流れてもいけなかった。高校野球やオリンピックがどんどんと流れて行ったが、わたしは川を眺めているだけだった。このままぼぉっとしていたら欄干の一部になれないかなぁ、などと思ったが、もちろんそんな兆候はなく、やっぱり川を眺めていた。
人間ってひとりだよね。