丸谷秀人のブログ

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美の饗宴 座布団に命をふきこむ 名匠 田崎真之介

 天気がよくなったので、冬のあいだ使っていた座布団を干すことにした。

 座布団といってもサザエさんに出てくるような渋いのではなくて、ホームセンターで買った低反発の奴である。値段は千円もしないが具合がいいので愛用している。でも、こういうのって値段が高い座布団と低い座布団でそんなに差があるのだろうか。1万円の座布団は一万円の座り心地がするんだろうか。1万円のヤツは座っただけで思わず「はふぅ……」とため息をもらしてしまうくらい絶妙にして甘美な座り心地なんだろうか、それはきっと座ったのに全く重さも暑さも感じさせず夏は涼しく冬はあたたかく甘い雲にでも包まれているようにそっと抱きしめてくれるのだろうか、そしていつまでも立ち去りがたく座り続けていたい座る以外なにもしたくない、ああ座布団お前はなんて素晴らしいんだ、と餓死するまで座ってしまうほどの見事さなのだろうか。一万円でそこまで期待するのは流石にアレなので、100万くらいならそんな座布団も手に入るのだろうか、当然、一個一個職人が手作りするような一品もので見る人が見れば「こ、これは名匠 戸武座新左衛門の作ではないですか! こんな素晴らしいものの座り心地を味わえるとは……」セリフを言わせるんだろうか。スゴイ凄すぎる! いやいやそこまで言ったら100万でも怪しいものである。数百万いや超絶名人田崎真之介の作品ともなれば1000万はするんじゃないだろうか。しかも名人田崎が関西財界の大立て者矢島虎吉の特注を受け息子が交通事故で病院に運び込まれたと知らされても顔色ひとつ変えず黙々と作り続けそんなに金が欲しいんかという悪罵にも我関せずで完成させそれに座った矢島が「ああ、すごい座布団や……哀しみも喜びもふんわりと抱き留めてくれはる……まるでわての亡くなったおかんのような……」とつぶやいたとい名品「おかん」となれば、その値段は億をくだらぬであろう。

 座布団すごい。座布団界すごい。座布団界深い。

 だが最近は、その枕界にも変革の波が押し寄せ、あの有名なgoogleも座布団の研究を始め、内部に超小型の電子回路を組み込み、座った人間の状態に合わせて微妙に変形し柔らかさまで変えるテクノロジーの塊とも言える座布団を開発しているという、そうなれば名匠の作った座布団なみのクオリティのものを安価に提供出来るという、発売予定は2019年。そうなればオリンピックの観戦者のうちで、MY ZABUTONをもってくる人間も多かろう。この東京の地で東西の座布団が激突する日も近い。

 そんな頂上決戦とは関係なく、私の座布団は色は白だが冬じゅう使い倒していたせいで汗や汚れですこし薄汚れている。そこでカバーは洗濯し、中とは別に干すことにした。カバーを外すのは初めてである。ワクワクした。というのはうそで、そんなことにいちいちワクワクできるならもっと人生は楽しいだろう。1個目のカバーを外すと、中はちょっとだけ弾力が違うふたつのスポンジが重なってできたものだった。この微妙な差が低反発を生むのだろう。どうみても匠の一品ではない。あたりまえである。でも、なにかの手違いで混じったりするかもしれないではないですか。しねーよ。

 2個目のカバーを外した。

 私は思わず目をぱちくりした。

 

 中身に毛が生えている!

 

 買った時期には2週間ほどの差はあるが両方とも同じホームセンターで買ったものである。だが、最初の1個目にはこんなものはなかった。

 スポンジ部分一面にひょろひょろとした毛が生えているのだ。

 微妙なちじれぐあいからして普通の糸とは思えない、かといって顕著にちじれているわけでもないので、あやしい部分の人毛でもなさそうである。わたしのか? と当然思ったが、もしわたしのであれば、座布団両方ともこうなっているはずである。では、工場で作られた段階で毛が生えていたのだろうか? いったいなんのために!? だが、なにか意図をもって生やしているのだったら、両方ともに生えているはずである。工場が違ったのか、工員さんに毛深い人がいて人毛をまきちらしながら作業をしていたのだろうか。彼または彼女の人毛は世界中に拡散しているのだろうか。この毛から遺伝子を採取してクローン培養すれば、体毛の濃いその人が現れるのだろうか。それとも、これはなにかの試作品で、毛があることによってなにかの効果を狙ったのだろうか、それがたまたまわたしの手元へ来てしまったのだろうか……。謎は深まるばかりである。

 ナチスがユダヤ人の毛をソファの中身に使っていたのと思い出してしまった。

 なんとなく気色悪いので毛抜きで毛を抜きだしたのだが、いくらやっても終わらない。一面に生えていて量があるんである。

 

 いいや、座布団は座布団だし。

 

 わたしは毛抜きも考えるのもやめて座布団を干すことにした。

 生えてるにしろ生えていないにしろ一冬、なにごともなく座布団だったのだから、なんの問題があろうか?

 

 そして現在、暑さのため使われていない座布団は、なにごともない顔をして部屋の隅にしまわれている。どちらかはカバーの下に、もじゃもじゃの人毛を隠して。

 でも冬には忘れているだろう。