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丸谷秀人のブログ

エロゲシナリオライター丸谷秀人の棲息地。お仕事募集中

わからないくらい生産的で深遠で高邁

 橋を渡ってすぐの角に公園がある。

 映画の帰りに通りかかると、2ヶ月ばかり続いていた改装工事が終わっていた。

 愚鈍なわたしには意図が理解しかねるほどにすばらしい改装ぶりだった。

 入り口の近くにあるのは、わたしごときの知能と感性ではさっぱり判らないオブジェで、一番近い形状のものをあげればキノコ、しかも鮮やか(毒々しいともいう)原色に塗られたやつが3本ばかり並んでいる。

 その奥は、砂がしきつめられた広場になっていて、夏の日差しをさえぎるものはなく、冬は冷たい風のふきさらしという、人間以外のなにかにとっては快適なんだろう空間に改造されている。

 さらに手と右のへりにはベンチが並び、これもまた日差しをさえぎるものも風をさえぎるものもない、昼休みに近所の人や勤め人たちが憩うことも子供が遊ぶことも断固拒否するという強い意思に貫かれた設計思想だ。

 さらに奥に遊具とみせかけて、よくよく説明板をみると、どれもなにやら大人向けの健康器具らしいものが5台ばかり並んでいる(サイズ的に大きすぎて子供の手に負えまい)。休憩などせず励め学校の帰りに友達とだべったりするなボール遊びなどもっての他というお役所心なのだろう。休むなら働けというまったくもってありがたくて涙が出そうな心配りだ。

 

 かしこくもおそれおおいお役所様がここを改造なさったのは、以前のここに多々問題があったからなのだろう。

 以前、公園の中央にそびえていた樹齢100年近くの大きな柳の作る木陰に配置されたベンチは、日中から夕暮れにかけてひとびとを休息という非生産的な行動に誘う。休息ならまだしもいかがわしい本(生産的な仕事にかかわらない本は全ていかがわしいのだろう)を読みふけったり、あろうことか惰眠をむさぼるけしからん人々も出てしまうかもしれない、そのような非生産的な行動の数々をやめさせるために柳は切り倒され、ベンチは撤去されたのであろう。

 毎年春には見事な花を咲かせていた十数本の桜は、夏はその木陰で日差しをやさしくさえぎり、人々を非生産的な行動に誘い、冬は風をさえぎり人々の精神の鍛錬を邪魔し、秋にはさびしげな風情で人々に詩情という金にならない無駄な感情をいだかせ、春には多くの花見の人々を呼び込み、これまた飲酒、放吟、泥酔などなどの非生産的な行動を誘発するけしからんものであったので、一本残らず切り倒されたのだろう。これで毎年春の恒例行事もめでたく消滅ということだろう。

 さらに木々が作る木陰は、夜、人目から隠されているのをいいことにラブホテル代わりにここを使用する人々を招き寄せてもいた。やるなら近所のラブホテルに金を落とせ、資本主義に貢献しろというお役所のありがたいご意思をびりびりと感じざるをえない。

 そして、公園の入り口にあった武家屋敷の門は、江戸時代からあったとかで、そろそろ文化財に指定されるのではないかと近所に噂されていたが、古きものなど単なる過去の遺物であり日々の進歩の前には消え去るべし、後ろ向きで非生産的なものは抹殺せよという、未来への大いなるビジョンのもと破壊されたのだろう。近所の人によれば、門はパワーショベルで五分もしないうちに引き裂かれたという。もし今年壊しておかなければ文化財に指定せざるを得なくなり、公園を好き放題にいじれなくなるのを嫌った再開発業者とそれに操られるお役所の人間が手を回したという噂もあったが、それはゲスのかんぐりというもの、お役所様は常に人々のことを考え最善を尽くしてくれるはずであり、わたしなど思いも及ばないような深遠なビジョンがあるのであろう。深遠すぎて理解するのはたぶん不可能だろうし、正直知りたくもないけれど。

 

 江戸時代、このあたりは下級武士の家が並ぶ町並みであったという。実際、わたしが物心ついたときには、現在公園のある場所は、崩れかけた土塀に囲まれ、先ほどのべた門が開いたまま建ち、中には築山だったらしい小高く盛り上がった場所と、そこにそびえる柳の木、屋根から雑草をはやした蔵が2個建っていた。子供らは幽霊がでるという独創性とは程遠いそんじょそこらにありそうな怪談を話していたものだ。敷地の隅にあった防空壕の入り口だったらしい扉も、中には白骨が今でもあると噂され、ちいさなハートを震え上がらせていたものだった。

 

 ついにその全てが消された。

 

 わたしがこの公園と称する場所でいこうことは2度とないだろう

 お役所の高邁すぎて図りがたい意図に支配されたこの公園には、お世辞にも生産的とはいいがたいわたしの居場所はないだろうから。