丸谷秀人のブログ

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私とポポーとコケと雑草

 雑草という植物はない、と昔のえらいひとは言ったらしい。

 でも、残念ながら、園芸(というほどでもないが)していると雑草はやっぱり雑草である。ポポーの植えてある鉢にすきあらば生えてくるクローバーなんて雑草としか言えない。せっかくやった肥料や水を横からかすめとる奴らである。数日目を離すとすぐはびこる。しかも根をはりめぐらせているので、ちゃんと根ごと抜かないと駆除出来ない。しかもこの根が結構長く、しかも簡単に切れる。とってもやっかいである。毎日毎日ぷちぷちと抜いていると、きっとこんなに抜いていたらいつのまにか四つ葉も抜いているなぁ、こうやって日々自分は幸福のタネも抜いているのにちがいない……なんていやな考えにとらわれて更にやっかいである。いやいや四つ葉のクローバーにそんな魔力があるなら、クローバー捜してるこどもらはとっくに幸せになっているだろう、あ、そうか、そんなもの捜している時間があるんだからすでに幸福じゃねぇかうらやましい。じゃあビルの下の空き地とかいかにもクローバーが生えてそうな場所を草刈りしている奴らはどうだ、いつのまにやら幸福を失っているはずじゃないか、いやいや、あんな高いビル建ててるくらいだから少なくとも金銭面は幸福に違いない、幸福は金で買えないというがそういうことをほざく奴らは大抵、すでにある程度のお金をもっているというのが相場なので迂闊に信じてはいけない。もういっそ国中に遺伝子組み替えして四つ葉のクローバーしか生えなくしたタネをまきちらしてそこら中四つ葉だらけにしたら、国全体がしあわせになるんじゃないだろうか、なんてことが効果があることが立証されてるならすでにやってるよなぁ。いやいやみんなが幸せだと困る人間がいるから実行されないのだろう。搾取しないと儲からないからな! などなど余計なことを考える。

 3ヶ月あまり毎日毎日抜いていたら流石に出現する勢いも減り、今では数日に一個抜く程度になった。ふふふ、お前らの力はそんなもんか! 雑草なら雑草らしくはびこってみろやい! と無茶ぶりをする私だったが、この傲慢はいつか自分にはねかえってくるに違いない。というかすでに私は一般的に言って人間としても雑魚だったり雑草だったりする側だし。抜かれて捨てられる側だし。もうすでにはねかえっているじゃないですか。毎日自分が抜いてるのは自分なのだ! なんという精神的拷問。

 さて、毎日毎日抜くというアナログな方法より何か効率的な対策があるはずとネットで調べてみると、不織布を鉢の表面にかぶせるという方法があったんですな。鉢の表面を影で覆えば植物が生えてこないという言われてみればコロンブスの卵。取り外しも簡単で、鉢のサイズに合わせた大きさに切り取られた円形の不織布には、縁から真ん中へとひと筋の切れ込みが入っており、そこに根元をぐっと差し込んでやればいいとまぁ至れり尽くせりの工夫。だが残念。うちのポポーには無理なのですよ。なぜならこのポポーというおいしい実のなる(予定)の植物、樹齢が5年くらいは経たないと枝も幹もかなり細い。そこで三鉢とも3本ずつの棒で支えてやっている。切れ込みの入れようがないのです。太くなったらいつか太くなったら不織布で影をつくって雑草を殲滅してやるのだ! 待ってろよ。

 だがである。別に鉢を覆うなら不織布でなくてもいいじゃないか、ということで、3鉢の内ひとつには別の方法が試してある。偶然コケが生えてきたのを毎日毎日霧吹きで湿り気を与えてやって育てた結果、今や鉢一面がコケで覆われ、雑草は2週間にひとつくらいしか生えてこないようになった。万歳。こうしてコケ類が雑草に勝つという進化の階段と逆のことを起こしてやったのだ。しかも毎日毎日霧吹きで養生してやっていると、なんだかコケにも愛情が湧いてくる。よく見ると普通の植物とちがっていてなかなか面白い姿をしている。地を這う葉っぱらしきものの表面に呼吸孔らしきラッパ状の器官が突き出していたり、花の代わりに傘状の胞子を飛ばすものが林立していたり……最近ではコケを育てているのかポポーを育てているのか段々わからなくなってくる始末である。なんせポポー、実が出来ていれば今頃徐々に実が膨らんで来て日々楽しみを提供してくれるのだが、実がひとつもつかなかった以上、今や単なる愛想がない植物にすぎなかったりする。ホントにこれといった特徴がない奴らなんである。まぁかわいいけど。

 もしポポーが太くなって、棒の支えがいらなくなって鉢を不織布で覆う日が来ても、コケが枯れるとかわいそうなんで、コケが生えてる鉢には不織布はかぶせないつもりである。

 いや待て。コケだってポポーの水や肥料を横からかすめとっているじゃないか、なんで雑草は抜かれてコケはかわいがられるのだろう? これは不公平なのではないだろうか。不正なのではないか不正義なのではないか。

 

 卒然と私は理解した。

 確かに雑草という草はない。愛されていない草があるだけだったのだ。