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丸谷秀人のブログ

エロゲシナリオライター丸谷秀人の棲息地。お仕事募集中

なにが子どもを泣かすのかを私は知ってしまった。

 生まれて初めて耳鼻科へ行った。

 もしかしたら、親につれられて行ったことがあるかもしれないが覚えていない。

 少なくとも生まれて初めて自腹を切って耳鼻科へ行った。

 

「ぎゃぁぁぁあいやぁぁぁぁぁ」

 

 朝イチの予約時間通りに行った途端、出迎えは悲鳴。診察室の向こうから響いている。が、既に四人ばかりいた人びとは動揺の気配すらない。

 立ち尽くす私を受付の人は、どうぞ、とうながし、淡々と事務的に処理。お掛けになってお待ち下さい。その間にも響き渡る悲鳴。どうして誰もが平然としているのか。隣でいたいけな子どもが虐待されてるかもしれんと言うのに……。

 

 もしかして……いつものことなのかっ!?

 

 しばらくして悲鳴が途絶えると、母親らしき女性にをひかれた男の子が現れた。

 顔は涙でぐしょぐしょであるし親は疲れた顔をしていたが、受付の人は特に気をつかうわけでもなく、淡々と会計を済ませ処方箋を渡し、まだぐしぐしと泣いている男の子を引きずるようにして女性は出て行った。

 万事にゆきわたる慣れた様子、やはりいつものことなのだ。

 

 そうこうしているうちに、私の順番がやってきた。

 泣いていたのは子ども、大人である私は泣くはずがないなんて、とその時は思っていました。

 

 診察室によくあるタイプの椅子に座った医師は口の周りに髭をはやした中年男性った。私が待合室で書いた問診票を見ながら、どういう症状ですかと問うてくる声も穏やかで、男の子から悲鳴と涙をしぼりだした恐怖の要素はどこにもない。子どもはすぐに泣くものだし、たまたまだったのだろう、と考えたいところだが、周囲の慣れた態度が気になる。

 などと考えていると、どういう症状ですか、ともう一度訊かれたので、右耳がつまったらしくて聞こえが悪くなった、と答える。

 手慣れた様子で医師は右耳を診察してくれる。日がな一日人の耳穴を覗き込む人生とはどういうものなのだろう。それは日がな一日女性のアソコを覗く産婦人科医と似ているのか、それとも、人の歯並びを覗きに覗く歯医者の方に似ているのか、どうなんでしょうその辺?

 などとらちもない考えにふけっていると、くいっと首を反対方向へ向けられ、左耳まで調べてくれる。左の方はなんの問題もなく聞こえるので、念の為というやつだろう。

 

 「左はなんとか鼓膜が見えますが、右は全く見えませんね」

 「は?」

 

 なんですと?

 と虚を突かれて自失してしまった私に、医者は親切にもくりかえしてくれた。左はなんとか鼓膜が見えますが以下同文。でも、左は聞こえるんですよ。と予想外の事態を把握していない私に、左はなんとか鼓膜が以下同文と苛立つ様子もなくくりかえしてくれた。あんたいい人や!

 

 いきなり医者は立ち上がった。

 で、でかい!

 医者というよりはアメフト選手のほうが似合うガッチリとした体型。

 みっしりと毛が生えた手の甲が人類が置き忘れて来た野生の香り。

 なにを立ち上がったかと思って内心身構えたが、甲にみっちりと毛がはえた手がつかんだのは細い管が先端についた怪しげな機械だった。握りの部分の尻から長い管がのびている。

 察するに、あれを耳穴へ突っ込んで中にたまったのを吸い出す機能をもっているのだろう。視線に気付いた医者は、大丈夫です。ちょっと吸い出すだけですから、痛かったら言ってくださいね、と言って、笑った。

 

 こわっ。

 

 おそらくそれが彼の癖なのだろう。笑うとくちびるがめくれて獅子舞のごとく歯茎までが現れ、しかもひげ面がうまい具合に威嚇効果をもって大変怖い顔だ。子どもが泣くわけだ。クマだ。しかも北海道辺りで「人間っていうのも結構くえるな」とかうそぶいてる感じのクマだ。もし私が子どもなら泣いていた。危ないところだった。いや、ほんとう、泣いてないから。

 わしっと頭を掴まれ、椅子のヘッド部分にぐいぐいと押しつけられる。ちょっと力が強すぎると抗議する余裕もなく、右耳に何かが突っ込まれた感触がするやいなや、大音響が響き渡った。予想通り掃除機を耳元で鳴らしたような音である。が、すぐ、ガリガリという音がそこに加わる。

 ほう、固いなぁ。固い! こりゃ固い! 固い固い! とヒグマは実に楽しそうだ。やわらかかったら楽しくないのかお前は。というか私は全然楽しくない。んふふぅ。こりゃ溶かすしかないねぇ。がりがりごりごりとごぉごぉと右耳の中で大音響がオー消すトレーションされて響き渡る。とにかくうるさい!

 と思ったらいきなり音が消えて、くるりと逆を向かされた瞬間、左耳に器具が突っ込まれる感触。ごぉごぉという轟音。そしてじゅるぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼという異音が

響いたと思うとすぐ途絶えた。ふふふ、取れた取れた取れましたよぉ♪

 ヒグマが助手の人がさっと差しだした銀色に光るお皿に何かをぽろっと載せる。

 

 なんと小指のつけねくらいまでの太さと長さを誇る塊だった。

 

 あの、これって右耳からじゃないんですよね……? と恐る恐る問うと、左耳にこれだけたまってたんだよ、と朗らかに答えてくれる。お願いだから笑うのやめてくれ、怖いから。という内心の願いもむなしく恐ろしい顔のまま、左耳は固くなっていて全く取れないから、溶かして貰うことになるね、とあいかわらずほがらかな声で教えてくれる。薬で耳垢がふくらむから、もっと聞こえなくなるから注意するようにね。車が右から来ても気付かないと思うよ! 交通事故はボクの管轄外だから! はははは。と朗らかな声で恐ろしい顔で恐ろしいことを言う。ヒグマだからなぁ。

 

 受け付けにて一週間後の予約を済ませ、近所の薬局でくだんの薬を出してもらう。

 目薬の瓶のような容器に入った透明な薬だ。これを毎日朝と夜の2回耳の右穴から4か5滴垂らして固まった耳垢を溶かすらしい。耳垢って脂だよなぁ、有機物溶かすんだから耳まで溶けたりしないんかな、間違って鼓膜が溶けたり……そこから脳内まで染みこんで溶かされて……いくらなんでもそれはなかろう。

 

 それにしても聞こえない。耳鼻科で直ると思っていたのに直らなかったからか、余計、聞こえないのが気になってしまう。こうしている間にも、固く固くなった年代物の耳垢が右耳を占拠しているのだ。

 

 年代物だけあって真っ黒だったらいやだなぁ。