植物もお腹がすくのか
面積の狭いことを猫の額とはよくいったもので、まさにうちの庭である。
それでも椿だのがうわっているので、面倒だが手入れはしている。
というかしないと大変なので仕方がない。
土が減っている。
毎年新しい土を継ぎ足しているのに、一年経つと増やした痕跡すらない。
花が咲いたあとに埋めたり撒いたりしてやった肥料のたぐいも同様だ。
植物のやつが喰っているとしか思えない。
毎年今頃土を足すたんびに、こいつらが生物なのだと認識して新たな気付きに小さく感動するものの、多分一年経つと、そのことを完全に忘れていて、また感心するのだろう。安い感心である。人間の底が浅いからであろう。
ふと思う。土や肥料を継ぎ足さなかったらどうなるのだろうか。
これがイヌ猫ワニインコの類であれば、腹が減ったことを鳴き声などを駆使したおねだりで教えてくれるのだろうが、植物がそういうことをするとは聞いたことがない。
ひっそりと枯れるのだろうか。
というか、そもそも私のことをそういうことをねだる対象と考えているのだろうか。
それ以前に、私という存在を認識しているのだろうか。
ある人の本によれば、植物には十数個の感覚があるという。
第七感どころではない。
いったい彼らの感じる世界はどういう世界なのだろう。
ある日突然、私が消えたらなにか感じるところがあるのだろうか。